「海老床地図」「安政年代 駒込周辺之図」を読む<等々力短信 第1106号 2018.4.25.>2018/04/25 06:29

 学徒出陣した慶應の学生が、特攻出撃を前に、よく銀ブラした銀座通りの店 の名を一軒一軒思い出して絵図にする話があった。 東大赤門前から、東京メ トロ南北線に沿って、本駒込、駒込、西ヶ原に至る本郷通りは、江戸時代、将 軍がお通りになる日光御成街道だった。 平成27(2015)年に文京区有形文 化財に指定された「海老床地図」というのがある。 富士神社近くの(今もご 子孫が住む)、江戸時代の髪結床の系譜を引く理髪店「海老床」の十代目店主嶋 村八十八氏が明治42(1909)年頃、東京名所図絵の内、駒込冨士浅間と神明 宮付近の絵図を父・文治郎に見せて、詳細に聞いた話を、絵図に書き加えて下 書きし、昭和10年に、時代を安政年間(1854年~60年)に設定し、浄書した ものだ。 新宿区若葉の荻野光忠氏が、昭和56年に模写している。

 家内の中学同級生で本駒込在住の川口政利さんのお話の会「六義園の水の出 入りと海老床地図」を聴きに行き、その地図の一部をブログで紹介したら、動 坂下への道と交わる浅嘉町二丁目(現在の本駒込1丁目)から西ヶ原霜降り橋 に至る全図のコピーを頂いた。 これがすこぶる面白い。 道路と寺社はほと んど、そのまま残っている。

 この大通りは日光御成街道だから、将軍家お通りの時、両側の家では主人や 男共は軒下に土下座、女子供は店先に座ってお辞儀をしていなければならない。  これが窮屈なので、ある家が表戸を閉ざして「貸家」の札を貼り、家中で浅草 の観音様へ遊びに行った。 将軍様お通りの時になって、その「貸家」の中で 鶏が鳴くので、役人が裏手に回ってみると、裏はがら明きで、鶏が何羽も遊ん でいた。 早速家主が呼び出されて、大叱られに叱られたという。 吉祥寺の 隣は、しちや、湯や(二階に茶を出す女がいるので、若い者の遊び所と成て居 る)、魚・小料理 魚欽、町内・木戸(これは火事其他非常ノ時ニ閉るもので是 を乗りこえて通る者ハ関所破リト同罪ニ處せられるとなり)、金物や、油や、草 やね師字名(あだな)やねクメ、古道具や、カゴヤ、(その裏に長屋の屋根が描 かれ)「この長屋に甘酒ヤ喜太郎と云ふ親孝行者有リテ御奉行よりごほうびを貰 ひしと成り」、かざりや、筆墨商山田ヤ、河越様ノ浪人内山某。 少し先に、紙 くづの立場字名キンタマ米ヤ、ごふくや清水や、その奥、吉祥寺の墓場に面し て「嘉平次さんの椎ノ木山」があり、「此ノしひノ木林の中で時々バクチ(長半) が開かれ其時は清水ヤノ杉山わきの小道の立木ニ「熊坂道」ト記した張紙があ り」とあるが、熊坂長範(長半=丁半)のシャレだろう。 養昌寺の手前にも 「紙くずの立場字名カミ金」があり、「有名なスリの親分仕立ヤ銀次ハ若い時こ の紙キンの家に居た。」 「孝行糖」「へっつい幽霊」や「一文笛」、落語国の住 民が、生き生きと動き回っている。

「マンダラート」ソリューション2018/04/25 06:21

「オオタニサーーン!」エンゼルス・大谷翔平選手の活躍で、花巻東高校時 代に書いたという「81マス」が、話題になっている。 1988(昭和63)年3 月25日の「等々力短信」第456号に「観自在マンダラ」というのを書いてい た。

    等々力短信 第456号 1988(昭和63)年3月25日

             観自在マンダラ

 バインダー手帳の流行に、触発されて読んだものの中で、今泉浩晃さんの『創 造性を高める メモ学入門』(日本実業出版社)という本が、面白かった。 ハ ウツウもののように思われるかもしれないが、そうではない。 「メモという、 ささいな行為、ささいな技術を通して、人生を語り、生きがいを創り、人間と して持っている潜在能力を引きだし、創造性を開発し、能力を高め、充実した 生活を創りだそうよ、創りだせるよ」という哲学を背景にした、生き方の提案 なのである。 具体的には、一枚の紙を九つのブロックに分割した「マンダラ ート」とよぶメモ用紙を使い、四方八方、自由自在に、関係のありそうな思い つきを、書き込んでいく。 九つの空欄を強制的に埋めさせるのが、マンダラ のミソで、これまでに得た知識や情報が、視覚的に、目に見える形で、ネット ワークとして体系づけられ、整理されて出てくる。 つまり、モノが見えてく る。

 マンダラートで、今泉さんが説いているのは、私たちが今までの人生経験の 中で蓄えてきた膨大な量の知識を、どのようにしたら智慧に変えられるか、活 用できるかという方法だ。 頭の中に既にある知識を引き出し(潜在意識を活 性化させ)、組み合わせ、新しい結合を創ってやることによって、問題を解決し ていこうという。 この技法が、梅棹忠夫「こざね法」や川喜多二郎「KJ法」 の、大きな流れの中にあるのは、確かだ。

 情報の収集整理と、その利用において、もっとも陥りやすい失敗は、それが マニア的な「収集のための収集」になってしまうことである。 「活用するこ とが目的で、保存しておくことは手段にすぎない」というのが、ファイリング の原則だそうだ。 この世の中、知ってはいる、わかってはいるけれど、実行 に結びつかないことが、たくさんある。 道具立てだって、けっこう整ってい るのだ。 ただし、使いこなしているかとなると、疑問である。 カード一つ にしても、それをたえず、くったり、かきまぜたりして、採集した情報を、ど う現在の課題に生かすかが、問題なのだ。 わかっては、いるのよ。

 思い立ったが吉日、5×3カードに縦二本横二本の茶色の線を引いて、九つ の空欄を持った「マンダラ」カードを作り、使い始めた。 それが、はたして 今泉さんの御託宣の通り、昼アンドンのごとき日常を送っている私にも、パチ ンコ屋のイルミネーションのように輝く、創造の火をともし、活力に満ちた充 実した日々を、もたらすのであろうか。 南無マンダーラ、マンダラゲ。

                              轟亭

1982(昭和57)年9月、私はワープロを始めた2018/04/24 07:13

 若い頃に、情報整理や発想法に興味を持った。 加藤秀俊さんの『整理学』 (中公新書)は1963(昭和38)年、川喜多二郎さんの『発想法(KJ法)』(中 公新書)は1966(昭和41)年、梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』(岩波新書) は1968(昭和43)年の刊行だから、私の学生時代の後半から社会に出たての 時期に当たる。

 そして個人通信「等々力短信」の前身である「広尾短信」を、ハガキ通信で 始めたのは1975(昭和50)年2月25日、33歳の時だった。 謄写版の原紙 を和文タイプで打って印刷していた。 月3回「五の日」(広尾の縁日の日)5 日15日25日に発行、40部だった。 1976年(昭和51)年10月に等々力に 引っ越し、10月15日の59号から「等々力短信」とする。 ハガキ版は、1982 (昭和57)年9月5日の262号までで、263号からワープロ専用機「文豪」を 採用、A4判一枚の手紙スタイルにした。 261号(1982.8.25.)~400号 (1986.8.15.)を収録した私家本『五の日の手紙』(岩波ブックセンター信山社 製作)を1986(昭和61)年11月5日に刊行した。

 その『五の日の手紙』に収録の第267号(1982(昭和57)年10月25日) 「僧ハ推ス月下ノ門、我ハ敲ク文豪機」、第268号(同年11月5日)「「筆不精」 が死語になる日」、第269号(同年11月15日)「マイ・ワープロの二か月半」 に、こんなことを書いていた。  「日本語をなんとか英文タイプでたたくように、簡単に、はやくきれいに書 けないものかと、先人たちはいろいろと苦労を重ねてきた。」「(1)(梅棹さん の『知的生産の技術』174頁に)日本人には自分のしとげた仕事について、報 告書などの記録を残す習慣が身についておらず、社会的蓄積がきかないという 大欠点があるという指摘がある。」「(2)深田裕介さんが、西欧は書類文化、契 約文化なのにくらべて、日本はおしゃべり文化、口約束文化である、向こうで はつねに書類(手紙)を読んだり書いたりする人がよく仕事をすると評価され るが、こちらは電話をしたり、会議や人と会うことの多いのがモーレツ・ビジ ネスマンである、という話をしていた。」「((3)取扱説明書の不備、(4)たく さんの筆不精の人々、も加え)これら四つの問題に共通するネックは、日本語 を書くことのめんどうくささにある。字を書く困難は、日本の「文明」進歩の 壁になっているのだ。そして今、小型のコンピューターの出現によって、われ われは日本語ワードプロセッサーという形で、その壁に穴が開けられた機会に 立ち会うことができた。より安く、より小さく、より簡単なワードプロセッサ ーが、先人たちの夢を実現する日はそう遠くはないようだ。」

 私がワープロを始めた1982(昭和57)年9月から、35年7か月が経った。

桂文枝の『大・大阪辞典』2018/04/23 07:03

 16日午後、テレビをつけたら偶然NHK Eテレの「日本の話芸」で桂文枝の 落語をやっていた。 『大・大阪辞典』という題の新作で、3月21日NHK大 阪ホールの「上方落語の会」での収録。

 大阪の商売人は、サービス精神とユーモアにあふれているという。 東京の 寿司屋。 らっしゃい、何にしやしょう。 何、握ってもらおうかな。 こは だでもどうだい、トリ貝でもどう。 粋だ。 大阪の寿司屋。 いらっしゃい ませ、何しまひょ。 せやな、何、握ってもらおうかな。 とりあえず、手ェ でも握りましょか。

 とんかつ屋。 とんかつから、赤い輪ゴムが出てきた。 東京だと、あっ、 すいません、すぐ取り替えます。 大阪、長堀のとんかつ屋。 当たりや! 取 り替えてや。 輪ゴムを?

 大阪は、NNC。 Cはシティ。 Nは「なんぼやねん」、すぐ値段を聞く。  もう一つのNは「なんでやねん」、すぐに突っ込む、オチはないんか、オチは?

 駐車場は、モータープール。 両面テープは、リャンメンテープ。 画鋲は、 押しピン。 ワイシャツは、カッターシャツ。

 旦那が大阪の人、奥さんが東京の人。 天神橋筋商店街、5丁目のお好み焼 き屋で、旦那が勘定を払っている間に、奥さんが店を出たら、並んでるおばち ゃんが、「何、食べはったん?」と聞く。 東京じゃあ、聞かない。 豚玉です。  それ、基本、基本。 それと? 焼きそばです。 どの? 卵で巻いたやつ。  ロール焼きそばネ。

 大阪のポスター、「痴漢、アカン」。  電信柱の貼り紙、「飼い犬の皆様へ」 とある。 「一緒に散歩する飼い主へは、スコップと袋を持たせて下さい」。   犬が読めるのか。 屋号も違う。 焼き鳥屋が、「また来て屋」。 雑貨屋、「何 でこんな安いん屋」。 焼き肉屋、「カリブの海賊」じゃなくて、「カルビの海賊」。  「創作料理」じゃなくて、「盗作料理」、「おいしい店のおいしいものを集めてみ ました」。 「店仕舞いセール」の店に、「スタッフ募集」。 「生ビール飲み放 題! 何杯飲んでも、一杯300円」。

 旦那が大阪出身で、奥さんが東京の夫婦、東京から大阪に転勤になった。 奥 さんが大阪に行こうか、別れようか、迷っている。 『大・大阪辞典』の付録、 「100問正解で完璧大阪人」で試す。 90~99問正解で「まあまあ大阪人」、 50~59問正解で「うっすら大阪人」、50問正解したら大阪へ行こう、と。

 問題「次の日本語を大阪弁に直せ?」 短気……いらち。 鳥肌……さぶい ぼ。 ものもらい……めばちこ。

 問題「次の大阪弁を日本語に直せ?」 おいど……お尻。 でんぼ……「チ チ、キトク」の電報じゃなくて、腫物。 昨日……きんの。 パーマかけた… …パーマあててん。 先ほど蚊に刺されました……「かいーーの」は寛平ちゃ ん、最前蚊ァに噛まれた。 君はどこがくすぐったいですか……自分は、どこ が一番こちょばゆいねん。

次の状況を、大阪では何という?

パトカーがサイレンを鳴らして近付いて来た。 大阪では「捕まるぞ、早く 逃げろ」ではなく、「迎えに来たで」。 注文したハンバーグがなかなか来ない 時。 「牛、捕まえに行ったんちゃう?」 馬券が当たらなかったら? 「今 日は当たり馬券、売ってなかったなあ」

おトイレ貸して下さいって言われた時、大阪人なら何て答えるか? 「空い たら、返してや!」 「正解!」

「朧月」と「スイートピー」の句会2018/04/22 06:58

 4月12日は『夏潮』渋谷句会だった。 兼題は「朧月」と「スイートピー」 というロマンチックな季題だった。 本井英主宰には、後選を頂いた。 私は 次の七句を出した。

朧月猫バスを待つ停留所

朧月白いペンキの一軒家

はらはらと散るもののありおぼろ月

おぼろ月列に並んでヤキトリ屋

スイートピーやさしい人の声がする

スイートピー学生のまま人の妻

珠となる夢に羽搏くスイートピー

 私が選句したのは、次の七句。

おぼろ月四角いビルの上にかな     さえ

おぼろ月猫に小窓を開けてをく     裕子

丸ビルに二十三時の月朧        盛夫

水遣りはエプロンの人スイートピー   明雀

ドロップの色に咲きをりスイートピー  さえ

彩束ねみてもあは\/スイトピー    なな

笑みたたへスイートピーを抱へたる   祐之

 私の結果は、<朧月猫バスを待つ停留所>をななさん、さえさん、庸夫さん、 <はらはらと散るもののありおぼろ月>を明雀さんと裕子さん、<スイートピ ー学生のまま人の妻>を明雀さんと祐之さんが採ってくれて、互選は7票、< 朧月白いペンキの一軒家>が主宰の後選に入って、合計8票。 ロマンチック な兼題に背中を押されたのか、結構冒険をしてみたつもりで、期待はしていな かったので、満足すべき結果となった。