山口良蔵と崖(きし) 嘉一郎2005/06/01 10:19

 芝哲夫さんは、適塾同窓の親友山口良蔵(良哉)宛の、福沢の手紙が多い話を した。 その一通では「ローゼ人間生理学」を翻訳した山口が、その出版許可 の斡旋を幕府の翻訳方にいた福沢に依頼し、福沢が請け合っている。 この本 はかつて緒方洪庵が『人身窮理学小解』として翻訳していたが、写本だけだっ たので、山口が再訳・出版しようとしたのではないか、という。

 山口宛福沢書簡にたびたび出てくるのが偽書問題で、福沢著作の偽版がとく に大阪や京都で多かった件である。 『増補和解(わげ) 西洋事情』という偽 版を出した黒田行次郎は膳所藩士、適塾では福沢の先輩にあたり、『ロビンソ ン・クルーソー』の日本初の翻訳があり、杉浦重剛の先生という人物だが、注 釈書というつもりもあったか、著作権についてはまったく無知だった。 福沢 はコピー・ライトは「官許」ではないとして「版権」と訳し、著作権の重要性 を説いてやまなかった。

 山口良蔵の父は山口寛斎、蘭方医で、大坂江戸堀に住み蘭学塾も開いていた。 その寛斎が適塾生の神植(こうのうえ)格之助の人物を見込んで、娘いくを娶わ せる。 娘そのが生れたが、神植は早く亡くなり、良蔵が江戸堀から適塾にそ のを連れて通ってくるので、そのは適塾生のマスコットのような存在だった。 寛斎はいくを、崖(きし) 嘉一郎と再婚させる。 崖は塩路という家に養子に入 っていたが、不縁になっていた。 そのは、後に化学者の中村譲吉(譲芝?)と結 婚し、その子中村順平は建築の大家で、東京銀座で建築学の塾、中村塾を開き、 芸術院会員、日本郵船の客船のインテリア・デザインを手がけた。 神植格之 助は備後、尾道の奥、中国山地の出身だが、その墓のそばに孫中村順平の墓が ある。 以上は、芝哲夫さんの話である。

 というわけで、山口良蔵と崖(きし) 嘉一郎は、義理の兄弟になるわけだが、 今度あらためて調べてみて、崖がもともと和歌山藩士だとわかった。 山口良 蔵や池田良輔(大坂出身)を洋学者として和歌山藩に召し抱えさせるについては、 崖が働いたのかもしない。 慶応2年秋、福沢の「長州再征に関する建白書」 (『福澤全集』20巻)を鉄砲洲の塾で目にした山口良蔵(当時、和歌山藩外事係と して江戸にいた)は、その写しを国許の(『福澤全集』の註では有力者)岸(崖)嘉 一郎に送っている。

坪井信良、そして古田杏輔と川北元立2005/06/02 08:23

福沢と適塾生との交流について話した芝哲夫さんの講演の柱は、山口良蔵の ほかに、坪井信良、古田杏輔と川北元立、高橋順益、長与専斎(長与に関連して 適塾生ではないが北里柴三郎)だった。

坪井信良は、緒方洪庵が若い時江戸へ出て蘭学を学んだ師、坪井信道の養子 (信道の子で、信良の弟にあたる信友も適塾に学んだが破門になっている)。 福 沢は『全集緒言』で緒方洪庵の翻訳について回想し、文事に大胆な洪庵が、送 られてきた訳稿を原書を見ずに添削していたエピソードを紹介しているが、そ の訳稿を送ったのが坪井信良であった。

古田杏輔と川北元立は、福沢が奥平壱岐から借りてひそかに写し、適塾で翻 訳した『百爾(ペル)築城書』に関連して名前が出る。 この原書と翻訳は、後 年、鉄砲洲の塾生で、伊勢藩士の兵学家米村鉄太郎が帰藩する時に、福沢が贈 り、そのままになっていた。 明治14年になって、それを思い出した福沢が、 ともに適塾生で津の医者だった古田杏輔(祐)と川北元立に頼んで、米村鉄太郎 を探してもらったのだという。(『福翁百余話』16「貧書生の苦界」に、この話 はある)

高橋順益という福沢の親友については、「等々力短信」1991.2.15.第557号「福 沢のワッフル」に書いた。 北里柴三郎については、<小人閑居日記>に 2003.11.18.「北里柴三郎の三恩人」、11.19.「報恩の人、北里柴三郎」、11.21. 「田端重晟(しげあき)日記」、11.22.「牛乳瓶事件」、12.1.「北里柴三郎とノ ーベル賞」、12.2.「北里柴三郎とベーリング」がある。 こうしてみると、短 信や日記に、いろいろ書きつけてきたものだと思う。

朝之助の「鮑熨斗」、菊之丞の「酢豆腐」2005/06/03 07:27

 5月31日は、毎月通っている国立小劇場の落語研究会、第443回を数える。

   「鮑熨斗(あわびのし)」 春風亭 朝之助

   「酢豆腐」       古今亭 菊之丞

     「お神酒徳利」     瀧川(春風亭改め) 鯉昇
     「蟇の油」       柳家 花緑
     「千両みかん」     立川 志の輔

 朝之助、大師匠が柳朝というから、小朝の弟子か。 長身長顔、アゴ上げ、 目ギョロ。 なかなかの出来。 女房のお光が賢く、亭主の甚兵衛が頼りない 落語の定番。 女房に「口移し」で教わった口上の時はボロボロなのに、大家 に鮑を突っ返されたあと、鳶の頭に会って教わったほうを、すらすら言いすぎ たのではないか。

 菊之丞、好きになれないタイプなのだが、うまくなってきた。 最近、気に 入らない芸人がいるという。 立つだけで、人気が出て、CMの話まで来る、 風太。 立てっていわれれば、すぐ立ちますよ。 女の子のいるところに飲み に行くと、噺家というのを隠して、郵便配達という。 高校の時バイトして、 多少専門用語を知っているから…。 でも、すぐバレる。 「するってぇと」 とか「アニさん」とか、郵便配達は言わない。  で、本題だが「おばあさんの形見みたいな太い帯」「小間物屋のミー坊は茶人 じゃないか」「夢見が悪かった。親鸞聖人が聖教新聞配っている夢を見た」「あ いつ(伊勢屋の変物の若旦那)とホヤが嫌い」など、セリフに工夫がある。 差 し障りもありそうだが、落語は差し障りがあるくらいでないと、面白くない。

鯉昇の「お神酒徳利」に拍手2005/06/04 08:35

 春風亭鯉昇改め、瀧川鯉昇。 禿げ上がった権助顔の、この人は好き。 出 てくるだけで、嬉しくなる。 血圧が高くて、医者に熱演だけはしないように、 運動をするようにと、いわれているという。 運動をするが三日坊主、近所の 中国人は、見ていると毎日公園に出かけて、太極拳というのか運動をしている。  午前中、ずーッとやっている。 最近、中国ではハンニチ運動というのが盛ん らしい。

 「お神酒徳利」、出入りの八百屋が女中を驚かそうという悪戯から、占い八百 屋となるやり方でなく、鯉昇は二番番頭の善六を、ソロバン占いのいんちき名 人にした。 善六は煤掃き(暮の大掃除)の時、路地が抜け裏なのに、水甕の蓋 の上に置きっ放しにされていた葵のご紋入りのお神酒徳利が危ないと、水甕の 中に沈めておいて、忘れてしまう。 善六の女房が占いをする人の娘で、知恵 をつけ、三つだけ願いが叶うというソロバン占いを教える。 無事にお神酒徳 利を発見するが、そのお店は旅籠という設定で、鴻池善右衛門の支配人が泊ま っており、鴻池の十七になる娘がブラブラやまいだという。 そこで大坂へ八 卦見に出かけ、まず泊まった神奈川宿の新田屋源兵衛方は、島津の侍の荷物か ら五十両の巾着と公方様への密書が紛失したという大騒ぎ。 頼まれた善六が、 逃げやすい裏通りに面した中二階にこもると、親孝行の女中が白状しに来る。  お稲荷さんの床の下に隠してあったのを、女中にも、おろそかにされていたお 稲荷さんにも、具合のよいように解決する。(この一件は従来のやり方)

 大坂の鴻池善右衛門宅で、いよいよ絶対絶命のピンチに立たされた善六さん の枕辺に、神奈川宿の日原(?)稲荷大明神が立つのだ。 瓢箪から駒、とんとん とうまくいって、大名旅行で東海道を帰る言い立てまで、鯉昇の「お神酒徳利」 は見事に決って、ハッピーエンドの楽しい噺になった。 元来、失せ物専門の 占い八百屋は逃げ出して「大変です。今度は先生が紛失」となるのだった。 鯉 昇の脚色か、だれかが考えたのか、前に演った人がいたのか、それが疑問じゃ。

花緑の「蟇の油」と志の輔の「千両みかん」2005/06/05 10:49

柳家花緑「蟇の油」。 今回、祖父は出さなかったが、9歳から噺をしている とは、言った。 そんなこと客は百も承知なので、やめたほうがいい。 いろ んな所で演じるという。 先日は、麻布のバーのカウンター上に座って演った。  題して「至近距離ライブ」。 大阪の中学校で「初天神」を45分、質問コーナ ー15分。 一時間、シーンとしていた。 生徒達がそんなに長く静かに話を聞 いたことはないと、校長先生は褒めてくれたが…、複雑な心境。 上がってき た1年A組の感想を読むと、みんなよく聴いて褒めている。 そうか、受けな くったっていいんだ、と思った。 が、その逆もある。 受けたからって、い いわけじゃないんだ。 落語研究会のように…。

 「蟇の油」の口上は、武張って格調があり、立て板に水。 拍手が沸く。 た だ一回やって、酔ったあとで、もう一儲けと再びやって失敗する演出。 ふつ うやるように香具師と客の掛け合いや、口上の繰り返しで笑わせるのにくらべ、 あっさりしすぎていて、この噺の面白さを殺いでしまった感じがした。

 立川志の輔「千両みかん」。 気の病の若旦那、理由を訊きにいく番頭がラー メン屋のチャルメラの節で「わかだ~~んナ」と部屋に入り、カツ丼でも取り ましょうか、という。 若旦那が恋焦がれているものは「やわらかな、みずみ ずしい、つゆのたっぷりある、きいろの」みかん。 日本橋のみかん問屋「千 惣」(万惣でないのは、初めて聴く)は、「置いていない」を言いたくないために、 何十年ののれんにかける心意気で、真夏でも五十箱を囲ってあった。 千両を 志の輔は、今の8億円から1億円と換算した。 たっぷり聴かせるストーリー・ テリングであった。