学習と「自発性」 ― 2005/08/03 08:18
<小人閑居日記 2002.8.11.>に、筑紫哲也さんの『ニュースキャスター』と いう本で読んだ大分県日田市の「自由の森大学」のことを書いた。 筑紫さん は日田の出身で、この市民大学の学長を務めている。 幕末の日田で、漢学者 の広瀬淡窓(たんそう)が咸宜園(かんぎえん)というユニークな私塾を興し た。 「咸宜」は「みなよろし」という意味で、身分、藩の別などきびしかっ た時代に、学歴も問わず入学できる代りに、入ってからは実力主義、自律自治 の勉学を課した。 「自由の森大学」は、「平成の咸宜園」を目ざしているとい う、のだった。
筑紫哲也さんが『図書』8月号に、その咸宜園と「自由の森大学」のことを 書いている。 「自由の森大学」は、年10回の講座を、聴講生の年会費一万 八千円で運営しているが、1994年から今年まで年平均1,323人が受講した。 道路網が整備され九州一円はもとより、山口など西日本からも、疲れを押して、 安からぬ費用を払って、やって来て、熱心に聴講しているのを見て、筑紫さん は思う。 「自発性」こそが全てを解くカギだ、と。 学校での勉強は、基本 的には「やらされている」のである。 受動的に、いやいややっていることが 多いのだ。 そして、短い区切りで性急な成果を求める学校教育よりも、生涯 を通してゆっくり(スロー)学ぶことに「歓び」の可能性が高い、ともいう。
ネットで俳句をご一緒している人生の大先輩が投句のメールで、私が日頃や っていることを「ご自分で決められての生涯学習の道を進まれ、素晴らしいと 思います」と、ほめてくださった。 嬉しかった。 そうか、これは「生涯学 習」なのか、自発的だから続いているわけだ、と思った。
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