『信州福沢考』の茅野市豊平2005/08/08 07:56

 康耀堂美術館の所在地は、茅野市豊平という所だ。 福沢諭吉を多少かじっ た人なら、思い浮かぶことのある地名である。 今は麻布善福寺境内にある福 沢のお墓に、「福沢氏記念之碑」というのが建っていて、福沢の文章で「福沢氏 の先祖は信州福沢の人なり」と書いてある。 富田正文先生などの調査で、信 州に福沢という地名は11か所ほどあるのだそうだ。 その一つが、以前は諏 訪郡豊平村福沢、現在の茅野市豊平にある。 11か所の中で、この豊平村福沢 が特筆されるのは、ここに以前、善徳屋敷跡という所があって、ぐるりを囲む 樹木が残っていた。 善徳なる人物は戦国時代、諏訪の殿様が戦争に出かける のについて行って、帰って来なかったといわれる。 「福沢氏記念之碑」に、 福沢を名のる最初の人として中津(大分県)に登場するのが兵助(ひょうすけ)で、 中津の下小路(しもしょうじ)に住んでいて、宝永6年5月23日に死んで桜町の 明蓮寺に葬った、「これより以前の事は得て詳(つまびらか)にす可らず」とある。  福沢家の系図では、その兵助が初代で「名は積善、兵助と号す」とある。 豊 平村福沢を「福沢氏先祖発祥の地」と考える人は、この「積善」と「善徳屋敷」 の「善」を結びつけるのだが、富田先生によると、その後の福沢家の系図には 「善」の字のつく人はいないし、それだけで決め付けるのは無理だとする。 し かし、この地の有志の人は、後に「福沢家発祥の地の記念碑」を建てたという。  今回、近くに行ったけれど、そんなわけで、特にその碑を訪れたいという気持 はなかった。

 信州から中津へ、どうして行ったか。 中津の桜町、明蓮寺にある墓は、台 石ともむ二尺ばかりの小さな墓石で、表面に「先祖代々墓」、右側面に「飯田氏」、 左側面に「福沢氏」とある。 富田先生は、飯田と福沢が親密な姻戚で、しか も豊かではなかったことを示す、という。 その飯田氏の系図に、関ヶ原の翌 年の慶長6年、小笠原家に仕えるとある。 小笠原家は、その年信州飯田に転 封させられ、さらに松本、明石、豊前小倉などの藩主となる。 一族で、明石、 竜野、中津と転封した家があり、中津で取り潰しに遭い、その後に丹後宮津か ら奥平家が移封されて来る。 下級武士の飯田、福沢両家は、浪人していたと ころを、下級の家来は連れて来なかった奥平家に召抱えられたのではないか、 と富田先生は推測している。(参考文献:富田正文『信州福沢考』私家版)

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