贋作者の正体?2005/08/19 08:37

 小林さんは、第4章「贋作の論拠」で、アルルのゴッホの寝室」のスケッチが贋作で あることを、画家として詳細に説明している。 第9章「贋作者の正体」で、ベルナー ルのゴッホ書簡集(寝室のスケッチのあるゴーギャン宛の手紙を収録した)が出た時点で、 ヨーの手元にあるテオ宛の手紙には寝室のスケッチを送ると書いてあるのに、そのスケ ッチが見つからなかったのではないか、と推定するのだ。 それではヨーの体面が汚さ れる。 小林さんは、ヨーの「フィンセント・ファン・ゴッホの思い出」も、自分に都 合の悪いことについては、黙秘・隠蔽・棚上げ、攪乱・改竄・歪曲・修正、眩惑・転換、 捏造を駆使していると指摘する。 そして贋作者Xは、ヨーと区別できないほど似てい る、という。

 ゴッホの自殺についても、ヨーは「疲れ切って」「興奮して」「破局」を迎えた、「苦痛 から逃れるために死を選んだ、あるいは、苦痛そのものが死に至らしめた」という観点 で描いた。 小林さんは、ヨーの描く「創作(=捏造)」した晩年のゴッホ像からは、ひ ろしま美術館の「ドービニの庭」の落ち着き払い、堂々としている世界は生れてこない、 という。

 1913年に完成した「フィンセント・ファン・ゴッホの思い出」に、「テオのよわい健 康はくじけてしまった。6カ月後の1891年1月25日、かれは兄の後を追ってしまった。 二人はオーヴェルの小麦畠のなかの小さな墓地で仲良く並んで眠っている」とある。 映 画『ゴッホ』のラストに出てきたあの二つ並んだ墓は、ヨーが1914年(つまり「思い出」 より後で)、ユトレヒトの墓地に埋葬されていたテオの遺骸を23年後に掘り出し、500 キロ離れたオーベール(オーヴェル)に葬られていたゴッホと並べて、教会の近くの麦畑 の附近の共同墓地に新しく土地を求めて、埋葬し直したものだそうだ。 「それらしく 完璧に演出し、演技しきること」が、強い自己顕示欲と並はずれた自尊心の強さに貫か れたヨー、ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲルの生き方の中心だった、と小林英樹さ んは指摘している。

 以上が『ゴッホの遺言』の読書日記である。 推理小説を読むようで面白かったが、 苦いものが残った。 内容について、批判する力はない。 美術の専門家はどう評価し ているのだろうか。