呪(しゅ)の力2005/08/23 08:59

 『知るを楽しむ』でもう一つ、意外に面白いのは月曜日《この人この世界》 夢枕獏さんの「奇想家列伝」。 この人の小説は読んだことがない。 ペンネー ムから、何か信用できないような人物かと思っていたら、人のよさそうな顔の、 まともで内容あることを一生懸命話す人だった。 一回目は見なかったが、二 回目は「空海 日本が生んだ最初の世界人」、見事にぎゅーっと凝縮した空海伝 だった。 遣唐使として入唐、第一人者の青龍寺の恵果に、日本人なのにこの 人と信頼され、口伝で伝える密教の体系を、空前の早さで受け継ぎ、すぐ帰国 した。 最澄が理趣経の貸出を求めたのに、真理は言葉にあらわせるものでは なく、体得するものだ、と断ったという。

 三回目は、お得意の「呪(しゅ)の力 陰陽師安倍晴明」。 「呪」を「じゅ」 でなく「しゅ」と読んだ。 安倍晴明の一次史料は少なく、ほとんど虚像、「今 昔物語」や能「鉄輪(かなわ)」のファンタジーの人だという。 陰陽師(おんみ ょうじ)とは、という話が面白かった。 たとえば病気は、悪い神(疫病神)がと りついたり、誰かがのろっていたりして起こる。 それを祈祷などで祓うと、 病人自身の免疫システムが活性化する。 呪(しゅ)の力の、「呪」は「のろう」 でもあり「いわう(祝)」でもある。 人の心のありようで、存在は変わるとい うのだ。

 名前は一番短い「呪」だ。 「桜」と名づけられたから、あの花は「桜」。 「呪」 によって好きな女性に、天にかかる「月」でも、与えることが出来る。 「受 け取りました」と言った瞬間から「月」は女性のもの。 「万年筆」を、お金 で買うというのも「呪」、それで自分の物になる。 「万年筆」を盗んだ泥棒は、 良心の痛みがあれば、「万年筆」は自分のものでない。 盗まれた人は、その「万 年筆」が自分のものと思い続けている限り、自分のものだ。 所有とは「呪」 である。