『語り手としての福澤諭吉』<等々力短信 第954号>2005/08/25 07:27

 解散総選挙騒ぎの中、戦後60年目の8月が過ぎて行く。 10年前「戦後50 年の常識」(平成7年1月15日、等々力短信694号)に、演説の切り口からの 福沢研究者、松崎欣一先生が私とほぼ同世代で、子供の頃の家庭の雰囲気は戦 前型なのに、学校や仲間とのつきあいの場は、戦後民主主義に純粋培養された 戦後型で、考え方や行動に二つの型が同居する「一身にして二生を経(ふ)る」 貴重な体験をされたという話を書いていた。

 その松崎欣一さんから、ご新著『語り手としての福澤諭吉』(慶應義塾大学出 版会)を頂戴した。 「ことばを武器として」という副題が付いている。 飯沢 匡さんの『武器としての笑い』(岩波新書)を思い出す。 あの本も、漫画や宣 伝絵画、諧謔や漫言、ジョークの鼓吹者としての、知られざる福沢にふれてい た。 松崎さんのご本は、明治の初年、さまざまな機会に「演説の法」の必要 を説き、みずからその実践に努めた「人の言」の発信者としての福沢自身の「演 説」の実際を、具体的に追跡している。 それは、福沢の生涯を通じて、たゆ みなく続けられた「ことば」を武器とし展開した知的営為について、これまで のように「翻訳、著述」(文字)の所産を通じてだけでなく、「演説」(音声)の視 点をもあわせてみるべきだという、松崎さんの考えにもとづいている。

 つい昨日まで「上意下達」「由らしむべし知らしむべからず」の世界、また「徒 党禁止」の時代だった。 「演説」はそうした封建の時代を克服する基礎を形 づくるための具体的な提案であったといってよく、日本の近代化のための道筋 を根底から構築しようとする視点がそこにある、と松崎さんは指摘する。 「演 説」の稽古を始めた頃の苦心談が面白い。 話しの仕方、話し合いの仕方、会 合の持ち方を、その方法と手続から学び始める。 誰にでも理解できる「話し 言葉」も創り出さなければならない。 福沢の演説草稿に数多くの読点がある のは、話すことに慣れ、聞くことに慣れるためには、一語一語確認することが、 まず必要であったからに違いない、という。

 福沢たちが苦心して始造した「演説の法」は、自由民権運動、学校の講義、 議会や会社を通じ日本の近代化に貢献したが、真の民主主義にまでは及ばなか った。 惜しまれるのは、草創期の三田演説会で、演説とともにかなり重視さ れていた弁論会(討論会)が、なぜか立ち消えたことである。 今日、国会での 不毛な郵政民営化論議を見るにつけ、討論の訓練不足が、民主主義の定着に影 響していると思うからである。

五芒星の道、雲南から日本へ2005/08/25 07:43

 夢枕獏さんの「奇想家列伝」、22日放送の第四回「安倍晴明その二 五芒星 の道」が、また興味あふれる話だった。 五芒星(ごぼうせい)は、晴明桔梗と もいい、安倍晴明の家紋、線で描いた星である。

 夢枕獏さんは、五芒星のルーツを尋ねて、中国・雲南省の少数民族の村々に 至る。 大理という所の博物館長と話していて、星でなく太陽だと判る。 古 代人が崖に描いた岩絵に、丸の中に星のある太陽の絵が沢山あるのだ。 魔除 けの図案なのだった。 白(ペー)族の風習の結婚祝いに二品、鏡と赤い紙を貼 り付けた笊(ざる)がある。 二品とも太陽の象徴だ。 笊の編み目(篭目)の模様 は、五芒星か六芒星の形で、鬼の目に等しく、悪しきものを退散させる魔除け になる。 それは、雲南と日本の近さ、関係の深さを物語る。 日本の米のル ーツは雲南にあるようで、その遺伝子は近い。 神社の鳥居のルーツも、アカ 族の門(上に鳥がいる)にあり、雲南の岩絵の描き方は、日本の銅鐸の絵に酷似 している。 雲南省の人々は、日本文化のルーツの一つなのだ。

 伊勢の海女が使う手ぬぐいなどに魔除けに縫い付けている道満(五本の井 桁)・晴満(丸に点入り五芒星)の模様というのがある。 マオ族の刺繍に、その 道満・晴満模様や卍がある。

西王母の住む庭に巨大な桃の木があり、北東の方角に鬼が出入りする所があ る(鬼門)。 扶桑の木に、九つの太陽が宿り、それぞれに三本足のカラスがい る。  記紀の神話で神武天皇を大和に案内したとされる太陽の鳥、八咫烏(那智大 社)もまた、三本足である。 加茂忠行が安倍晴明に陰陽道を教えたが、八咫烏 はその加茂氏につながりがある。 安倍晴明は那智の滝で修行したといわれ、 那智大社と縁が深い。 こうして五芒星の日本への道は、安倍晴明につながっ た。