国家レベルでやらなければならない石油開発2005/11/01 09:23

 25日、仲間内の情報交流会を交詢社で開き、大学のクラスメートで、クラブ でも一緒だった友人に、「日本を取り巻く石油情勢」の話をしてもらった。 ず っと商社で石油畑を歩み、この3月まで石油開発会社の社長をしていた石油エ ネルギーの専門家である。

 基本的な世界石油需給バランスは、旧石油公団、現在のJOGMEC(石油天然 ガス・金属鉱物資源機構)が、2005年も、2006年も「供給過剰」を予測してい るような状態にある。 しかし現状は、構造的変化によって原油価格の高止ま りが長期化するのではないかという見方が強まっているという。 その理由に は、いくつかあって、まずアジア諸国、特に中国、インドを中心とする予想を 上回る大幅な需要の伸びに対して、国際石油市場における供給余力が低下して いる。 そもそも供給余力は、OPECの、それもサウジアラビアとイラクにし かないのだが、サウジは政治的脆弱性を抱えているし、イラクの復興はなかな か進まない。 主要産油国におけるテロ、紛争(ナイジェリア、スーダン等)、 石油企業の経営破綻問題などもある。 ニューヨーク石油先物(NYMEXナイメ ックス)市場へは大量の投機的資金が流入し、全世界の実際の需要の3倍もの架 空の取引が行われている。 サウジやイラクを始めとする主要産油国で何か起 こったら大変だという不安感、そうした心理的要因を、だれかがNYMEX市場 で煽り立てていることが、高値の原因になっているのではないか、という。

 日本の対応について、石油公団廃止後の国策石油開発会社の必要性を説き、 彼が一番言いたかったことだと思うが、石油開発や食糧の確保のような重要な 課題は、「民」に丸投げするのではなく、「官」で、国家レベルでやらなければ ならない、と主張した。 商社マンとして、中国の政府首脳がアメリカの行か ない産油国に出かけて首脳と会い、危険な地域でのパイプライン建設などに沢 山の人を投入していること、アメリカの巨大食物商社がブラジルで広大な農場 を確保している裏には政府の意志が働いていることなどを見てきた、彼の言葉 は重かった。 中国がこのままの成長を続けられるわけがないという見通し、 原油価格の下落とソ連の崩壊が完全にリンクしていて、このところの高値はロ シアの復権、軍拡への道につながるのではないかという話、9.11.テロとのかか わりを生んだサウジアラビアの内情など、興味深い話も聴けた。

たい平、小さんにいじられたか2005/11/02 08:02

 31日は、第448回落語研究会。

「一目上り」          古今亭 菊朗

「たらちね」          林家 たい平

「明烏」            入船亭 扇遊

仲入

「おかふい」          桂 平治

「真景累ヶ淵より 豊志賀の死」 古今亭 志ん輔

菊朗、八の字眉、小僧風。 「一目上り」は、ご存知八っつぁんが掛け軸を 褒めようとする前座噺。 掛け軸を褒めることができれば、ガラッ八、八公が、 八五郎さん、君、様、先生、殿とも呼ばれるようになるだろうといわれて、そ の気になる。 が、賛といえば詩、詩といえば悟、先にロクといえば七福神。  蛇足ともいわれるハチといえば芭蕉の句、までやった。 菊朗は、テンポもよ く、なかなかの出来だった。

たい平、鴇色というのか、ピンクの着物。 マクラで、昔、国立演芸場で小 さんの「時そば」を聴いたら、初めに「一ィ二ゥ三ィ四ゥ五ッ六ッ七ッ」とサ ゲまでやってしまい、百面相をやって下りたと、口真似までした。 「たらち ね」に入っても、大家が「身を固めないか」と来たのを八五郎が「秩父セメン トで」といえば、大家「古いな、秩父セメントは合併して、今は太平洋セメン トというんだ」というあたりは、快調だった。 縁談が決まれば、すぐ欲しい 八五郎、今夜嫁さんが来ることになって、嬉しくって、沢庵をポーリポリの、 ボーリボリというおまんまを食う稽古をする。 新しい宗教にでも入ったのか というほどの八五郎のはしゃぎぶりに、今まで洗濯をしてくれるなどいろいろ 八五郎の面倒をみてくれていた、隣の糊屋の婆ぁさん、「私、くやしい、私を メチャクチャにして」と泣く。 八五郎「もう、十分にメチャクチャじゃない か」。 このとんでもない展開に乗ったたい平、「カラス、カァで夜が明けて」 とやってしまった。 マクラでふられた小さんの幽霊でも出たか。 気がつい て、何とか噺を続けようとするたい平、もうON AIRは確実にないからと、「ち んばなんて平気」とメチャクチャになる。 「勉強し直してまいります」と頭 を下げながら「それでも下りないのが林家一門」と、「カラス、カァで二日目の 夜が明けて」「アーラ我が君しらげ(白米)のありかはいずれなるや」も、ちゃん とやった。 泣き真似をして、お辞儀。 このハプニング、客席もけっこう楽 しんだのだった。

扇遊の「明烏」で安鶴さんを読む2005/11/03 08:23

 扇遊の「明烏」が、とてもよかった。 そこで、先代桂文楽を思い、安藤鶴 夫さんの『落語鑑賞』をひもとく。 「かつて吉原というところがあった。」で 始まり、「靴下のさきへそっと最後の五銭玉をしのばせたのがおばさんなるもの に発見されて、哀訴嘆願の果てにようやッと見逃してもらったので、たいした ぐしょ濡れにもならず、千束町(まち)から吾妻橋の袂まで、その五銭で市バス で帰ってこられるところに、吉原という町があった」と、つづく。 安鶴さん にとって「明烏」は、いまはなき吉原の哀歌(エレジイ)だという。

日本橋田所町(ちょう)三丁目とは、堀留、富沢町。 日向屋半兵衛は、文楽 では地主(扇遊では商家のように聴いた)。 60前後だから、一人息子の時次郎 (19)は遅い子ども。 吉原で最初にあがるのは、仲の町の引手茶屋、源兵衛と 太助のような連中は、ほんとうのところ、ここから大提灯で送られる手合いで はない、とある(つまり、親父が金を出した若旦那のお供だから)。 上がった のは大店(おおみせ)、稲本、大文字、角海老、品川楼、中米(なかごめ)なぞが大 店と文楽が語る中で、「中米あたりであろうか」と安鶴さんはいう。 花魁(お いらん)の浦里(18)は、初午から翌日にかけてのこの噺で、やっと去年の暮あた りから出たぐらいの風情が欲しい。 そうはいっても、実はたったひとことし かものをいわない、とある。 そのひとことは「――若旦那、皆さんがお迎い にいらしったんですから、お起きなさいましな」。 冒頭に若旦那が菓子盆で三 膳のお赤飯を食べてきたのを、文楽の藤兵衛ンとこのお稲荷様ではなく、扇遊 は笠森様と言った。 北村一夫さんの『落語風俗事典』によれば、笠森稲荷に は、谷中3丁目三崎坂登り口北側に現存する大円寺と、「向う横丁のお稲荷さ ん」の歌で知られた笠森お仙のいた谷中7丁目の功徳林寺の地とがあるそうだ。  日本橋から谷中は、かなり遠いようだが、江戸の人には一足だったのだろうか。

桂平治の「おかふい」2005/11/04 08:49

 桂平治、国立演芸場10月上席で聴いて脳下垂体腫瘍の手術をしたと知り、 10月11日の日記に「どういう手術をしたのか、いつもの短くした頭に傷はな かった」と書いた。 事情が判明した。 蓄膿症の手術と同じように、口の中 の上顎の上を切って、顔の皮をペロッとめくり、看護師さんが持っているわけ にはいかないので、両側頭部に止めたのだそうだ。 側頭部がいまだに禿げて いるのは、そのためだという。 6時間もかかったそうだ。

 「おかふい」は、下の下の女郎屋にあがった番頭金兵衛が、梅の毒に罹って、 鼻の障子をなくす。 田中優子さんの解説にこんな川柳があった。 山帰来(さ んきらい)という薬が効き目があるとされていて、「生薬屋やっと聞き取るひゃ んきらひ」。 あるじの万屋宇兵衛、器量好みで迎えたおりえ(18)と仲が良すぎ て、腎虚になる。 自分の死んだ後のおりえのことが気にかかって、死ぬに死 ねないと、鼻を削いで、髪を切ってくれないかと頼む。 貞節なおりえは承諾 し、自分の鼻を切り落とす。 心配のなくなった宇兵衛はなんと全快し、わが ままにも鼻のないおりえを邪険にし、なぐる、ぶつ、ける。 おりえの親類が 怒って、奉行所に訴え、宇兵衛の鼻を削ぎ落とす判決が出た。 万屋は主人夫 婦と番頭の三人が鼻無しとなり、夫婦仲は元に戻り、「おみゃあいがかあふい(可 愛い)よ」「あにゃたがおいとーふィ(お愛しい)」というのを聞いた番頭、「こり ゃおかふい」。 

このものすごい噺の嫌味を、桂平治の朴訥さと、おとぼけが消して、なんと も可笑しい噺にすることに成功していた。 自分が体験した顔面と脳の大手術 のマクラも、効果があったのかもしれない。 好きな噺家だ、術後の経過の良 いことを祈る。

志ん輔の「豊志賀の死」、娘十八問題2005/11/05 07:05

 古今亭志ん輔の「真景累ヶ淵より 豊志賀の死」。 一晩に聴いた落語を四日 も書いてきて、娘の十八歳という年齢が大切だということに気がついた。 「明 烏」の浦里も、「おかふい」のおりえも、「豊志賀の死」のお久も、十八だった。  そういえば多少器量は悪くても娘ざかりは美しいということわざもある。 「鬼 も十八番茶も出花」。

「豊志賀の死」は三角関係のもつれである。 堅くて、器量が良くて、芸も しっかりしている富本節の師匠豊志賀(39)のところに、弟子連中も了解して、 女中代わりに子供ほどの年の新吉(21)が住み込む。 それが11月の吹き降りの 気味の悪い晩、男女の仲になる。 豊志賀は新吉がかわいくってしかたがない。  新吉は増長して、いつまでも寝ているという風だから、たちまち噂は広まり、 弟子の男連中がやめ、女たちも引く。 たった一人、根津惣門前の羽生屋の娘 お久(18)だけは通ってくる。 豊志賀はお久が新吉目当てではないかと疑い、 稽古中もいじめるのだが、それでもお久は通い続ける。 豊志賀の目の下にぽ つんと出来たおできが広がり、顔半分が青黒く腫れて、寝付いてしまう。 新 吉は看病に努めるのだが、豊志賀のお久に対する嫉妬はエスカレートする。 寝 かせてももらえぬ新吉は、これでは体がもたないと叔父に相談に出かけたとこ ろで、お久に会い、寿司屋の座敷で、俺はお前を取るとお久を選び、一緒に下 総羽生村へ逃げる決心をするのだが…。

長井好弘さんの解説によれば、志ん輔は豊志賀を「オバケの怖さでなく、女 の嫉妬の怖さを、可愛らしく、いじらしくやりたい」という師匠志ん朝流でや りたかったらしい。 志ん輔は見事に物語ったのだけれど、十八を相手に、三 十九をかわいらしく、かわいそうにやるのは、なかなか難しい仕事なのだった。