藤原正彦さんの「創造」する法2006/02/01 06:33

 25日、紀伊國屋ホールで『兄おとうと』を観た後、前週平山洋さんの話を聴 いた丸ビルホールの「夕学(せきがく)五十講」に回り、『国家の品格』の藤原正 彦さんの「知識・論理・情緒」と題する講演を聴いてきた。 話はほとんど『国 家の品格』に書いてあったことだったが、ともかく顔を見ながら肉声で聴くの だから、それなりの手応えを感じることが出来た。

 「創造」するためには、五つの要素がある。

 (1)頭の中に多くの原子を持つこと。(「知識」量が豊富) 努力家で、しかも その努力を苦にしない。 だから初等教育では「知識」を詰め込む必要。

 (2)その原子を勢いよく解き放つこと。 脳の壁に付着していた情報や「知識」 (原子)で、飛び出しやすいものは、自らの知的好奇心で得られた「知識」。

  (3)必要なのは執拗なこと。 極度の精神集中力、かなりの期間の持続、野 心が必要。 野心は気迫であり自信、傲慢なほど自信があり、楽観的でなけれ ばならない。

 (4) 優れた触覚、アンテナが大事。 鋭敏な感受性、「情緒」力。

 (5)感知した天啓(インスピレーション)を検証する、長期にわたる強靭な「論 理」的思考力が必要。 アタマは良くなければならないが、良すぎても駄目、 とにかく行ってみる愚鈍さが必要。

 「知識・論理・情緒」の三題話はこのようにまとまるのだが、とくに「情緒」 力、鋭敏な美的感受性は、四季のある繊細で華奢な自然に対して、畏怖と額ず く心を持って、日本人が何千年も住んできたことによって育まれたことが強調 された。

藤原正彦さんの教育論、「褒める」2006/02/02 07:03

 藤原正彦さんは講演後、小・中学校のカリキュラムに何かヒントを、という 質問に、持論を展開した。 小学校の4年生までは、一から四まで徹底的に国 語(道徳は含めていい)、五に算数。 みずから本に手を伸ばす子供をつくる。  理科・社会は、5,6年生からでいい。 小学校から、パソコンと英語は追放。

 (1)親と教師は、子供を中心にしない。 ケダモノを人間に変えるのが教育。  容赦する必要はない。 子供に傷ついて這い上がる「我慢力(りょく)」が出来 る。 「我慢力」の不足が、理数ばなれ、読書ばなれにつながっている。 読 書は、教養がつく唯一の手段で、見識・大局観が得られる。  (2) 親と教師は、自分が正しいと信じている価値観を押し付ける。 惻隠の 情、弱いものを助ける、卑怯を憎む心。 問答無用で教える。 会津の藩校、 日新館の教え「什の掟(じゅうのおきて)」の最後に「ならぬことはなりませぬ」。  最初に「踏み台」を与えることが大事、その後の飛躍は子供にまかせる。

 その後で、藤原さんの言ったことが印象深かった。 細かいことでは、毎日 怒鳴りつけてもよい。 しかし、本質的なこと(アイデア、やさしい心など)で、 激しく褒め上げること。 そのメリハリが必要。 誰にでも、褒めるべき点が ある。 それを、目ざとく見つけて褒める。 そうした褒め言葉は、将来挫折 した時に、その人の支えになる。 落ち込んだら、褒められたことを思い出す ことだ。 その材料を与えておく。  (私はここで、子供の頃、先日の「等々力短信」「書くという楽しみ」に書い た先生方に、作文を褒められたことを思い出した。)

数学と「情緒」・美的感受性2006/02/03 08:07

 1日、藤原正彦さんの講演の「まとめ」で、「創造」するための一要素として の「情緒」力を、鋭敏な感受性、優れた触覚、アンテナが大事だと書いた。 藤 原さんは、奈良女子大の数学の教授で、文化勲章を受けた岡潔さんの話をした (『国家の品格』の140頁にも出てくる)。 岡潔さん(1901-1978)は、28,9歳 でフランスに3年間留学、帰国した時、留学して二つのことが分かったと言っ た。 一つは、これから進むべき研究の分野。 もう一つは、蕉門の俳諧を調 べなければならないこと。 そしてまず蕉門(芭蕉に始まる一派)の研究に一生 懸命励んだ。 数学の独創には「情緒」が必要と考えたのだという。 その後、 やおら数学の研究にとりかかり、20年ほどかけて、当時、その分野で世界の三 大難問といわれていたものを、独力で解く快挙を成し遂げた。 毎日、数学の 研究を始める前に、一時間、お経を唱えていたという。

 岡潔さんは、「先生のおっしゃる情緒というのは何ですか」と訊かれ、「野に 咲く一輪のスミレを美しいと思う心」と答えたそうだ。 藤原正彦さんは、数 学は高い山の頂にある美しい花を取りに行くようなものだ。 美に対する感動 が強くないといけない。 数学をやる上で美的感覚、美的感受性は最も重要な 資質だという。

 そして、藤原さんは日本のあらゆる学芸の内で、もっとも優れているのは、 文学だという。 万葉集に始まり、紫式部、芭蕉、西鶴、近松と、世界に冠た る文学を作り上げてきた。 その次が、数学だといい、江戸期の関孝和、建部 賢弘(たけべかたひろ)の名を挙げた。 文学と数学が特に凄いのは、日本人の 美的情緒がとりわけ秀でているからだというのだが、この話、もう一つ納得の いかないところがある。

ナショナリズムとパトリオティズム2006/02/04 07:06

 講演と離れるが、藤原正彦さんの『国家の品格』の中で重要だと思ったのが、 日本であまりよいイメージで語られない「愛国心」という言葉には、二種類の 考えが流れ込んでいる(二つの側面がある)という指摘だった。 藤原さんは、 英語のナショナリズムとパトリオティズムは別だと言い、ナショナリズムを「国 益主義」、パトリオティズムを「祖国愛」と訳す。 そして、ナショナリズムと は、他国のことはどうでもいいから、自国の国益のみを追求するという、あさ ましい思想で、戦争につながりやすい考え方だとする。 パトリオティズムと は、自国の文化、伝統、情緒、自然、そういったものをこよなく愛することだ とする。 そして藤原さんの主張する「祖国愛」は、英語のパトリオティズム に近い、という。

 普通、ナショナリズムは「民族主義、国家主義」、パトリオティズムは「愛国 心」と訳される。 パトリオットは「愛国者、志士、憂国の士」、私などは語感 として、こちらの方が戦争につながりやすいと思っていた。

藤原さんは、ナショナリズムとパトリオティズムの二つを峻別しなかったた めに、戦後はGHQの旗振りのもと、「愛国心」が戦争の元凶として二つもろと もに、捨てられてしまったという。 そして日本が現在、直面する苦境の多く は、「祖国愛」の欠如に起因すると言っても過言ではない、という。

『星の王子さま』旧訳と新訳2006/02/05 07:04

 先月の21日、池澤夏樹さんの講演を聴きに行く予定にしていた。 以前、 司馬遼太郎さんの菜の花忌で話を聞き、とてもよかったからだった。 それが 例の雪の日で、ついおっくうになって出かけなかった。 演題は、『星の王子さ ま』の新訳と、最近書かれた本についてだったのだが…。

 それで『星の王子さま』の新訳(集英社)と、内藤濯(あろう)さん訳の岩波書店 版(ハードカバーの1962年刊、1998年第66刷改版)を図書館で借りてきて、読 み比べてみた。 正直にいえば、内藤濯さん訳も初めて読んだのだった。 サ ン=テグジュペリ(池澤本は、サンテグジュペリ)は、学生時代のフランス語で『人 間の土地』を少し読んだような、かすかな記憶がある。

 内藤濯訳で「ウワバミ」「けんのん」「ぼっちゃん」「場所ふさぎ」「ヨボヨボ」 「呑み助」「実業屋」「あきんど」となっている言葉が、池澤夏樹訳では「ボア という大きなヘビ」「危ない」「子供・王子さま」「場所を取る」「すごく年寄り」 「酒飲み」「ビジネスマン」「商人」となっている。 内藤訳の「飛行機がサハ ラ砂漠でパンク」「パンクというのは飛行機のモーターが、どこか故障をおこし たのです」が、池澤訳で「サハラ砂漠で飛行機が故障」「つまりエンジンのどこ かが壊れたのだ」。

 さわりの部分。 内藤訳「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってこ とさ。かんじんなことは、目には見えないんだよ。」 池澤訳「ものは心で見る。 肝心なことは目では見えない。」 内藤訳「飼いならす」って、「仲よくなる」 こと。 池澤訳「飼い慣らす」って、「絆を作る」こと。