白洲正子さんを支えたもの ― 2006/03/02 07:06
50歳で能を捨てた白洲正子さんは、旅に出た。 その紀行文から、作家の道 が開けた。 白洲さんの著作のほとんどが、能をあきらめた50歳以降に書か れた。 細川護煕さんは、白洲さんのテーマがほとんど能成立以前のものだと いうのが、面白いところだと言う。 能を入口にして、歴史とか文学を書いた。 「一番やりたかった能をあきらめた後、われわれが知っている白洲正子が生ま れた」と、細川さん。
白洲正子さんは、昭和62(1987)年、77歳の時、79歳の友枝喜久雄の能「江 口」を見て感動、一人の観客として能を語るようになる。 喜多の能楽堂で「弱 法師」を見て、さらに熊本で演じられた「弱法師」にまで出かけた。 オッカ ケと称して、友枝喜久雄が亡くなるまで、その舞台をすべてみることになる。 友枝喜久雄(1908-1996)は、細川家とはゆかりの深い(お抱えの)能役者、喜多流 シテ方、女役は天下一品という評判だった。 晩年は目が不自由で、構えらし い構えもなく、動きも無造作なものだったにもかかわらず、わずかな足の運び にも、こぼれるような初々しさがあった、という。
番組では平成8年3月放送の「芸能花舞台」で、白洲正子さんが語っている のを流した。 「すごいでしょ、これ見なきゃあ、本当の能を見たことになら ない」「あの方は、色気があった。歌舞伎のようなシナシナした媚びるようなも のじゃあなくて、能の清純な色気というか、いいようのないもの。とっても色 っぽかった、本当の女になりきっちゃって…」「きわどいんですね。刀の刃の先 を歩いているような。それが何でもなく、ゆったり、平然としている。あの方 のは…」
まとめのアナウンス「男と女の中間を行くきわどい一瞬の閃き、男とも女と もつかない清純な色気、友枝の舞に正子は、長年追い求めてきた能の究極の美 を見出した」が入り、細川護煕さんは「能は白洲正子さんのバックボーンだっ た。白洲正子の世界を支えたのはお能で、その人生に一番彩りをそえたものだ った」と語った。
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