「夢と現實」 ― 2006/03/09 07:11
昭和41(1966)年刊『漱石全集』第三巻『虞美人草』を見る。 朝日新聞連載 は、明治40(1907)年6月23日から10月29日まで、だそうだ。 「夢と現實」 も「夢を抱く人」も、116頁にある。 孤堂先生と娘の小夜子が、京都から東 京へ向う汽車に乗っている。 同じ汽車には、長身痩せ型の甲野さん(27)と、 四角な男・宗近君(28)も乗り合わせている。 小夜子は5年前の16の春に京都 に来た。 その時、元気だった母親は、まもなく亡くなり、今年はお盆を東京 で迎えることになる。
「古き五年は夢である」「昔の夢は、深く記憶の底に透って、當時(そのかみ) を裏返す折々にさへ鮮かに煮染んで見える。小夜子の夢は命よりも明かである。 小夜子は此明かなる夢を春寒の懐に暖めつゝ」(汽車に載せて東に行く)「車は 夢を載せた儘ひたすらに、只東へと走る。」「夢を携へたる人は、落すまじと、 ひしと燃ゆるものを抱きしめて行く。」(汽車は、ひたすら走っている)
このあとに、問題の語句が出てくる。 「夢を抱(いだ)く人は、抱きながら、走りながら、明かなる夢を暗闇の遠き より切り放して、現實の前に抛げ出さんとしつゝある。車の走る毎に、夢と現 實の間は近づいてくる。小夜子の旅は明かなる夢と明かなる現實がはたと行き 逢ふて区別なき境に至つて已(や)む。夜はまだ深い。」
この「夢」は、「はかない、頼みがたいもの。夢幻。」だろうか。 「夢と現 實」は、「ゆめとうつつ」のようだ。 私の夢は、現実の前に、はかなくも消え て行ったのだった。
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