犬糞を踏む ― 2006/03/19 06:49
散歩の途中で犬糞を踏んだ。 “糞便”やるかたなし。 前方に、イーーイ 女がいて、と言いたいところだが、いつも散歩しているのを見かけるおじさん がいて、ちょうど家から出てきた人と話をし始めた。 あのおじさん、ご近所 の人なんだ、と思った瞬間、右足にグニャッといやな感触があった。 前方に 気をとられて、足もとが注意散漫になったのだった。 デューク更家流にカカ トから着地するように心がけているから、ブツをカカトで踏んでしまった。
子供の頃、踏むと背が伸びると聞いていたのは、犬糞でなく、馬糞だったか。 そんなことを言っていたことを思うと、戦争直後の東京には、まだ馬糞がそこ らにころがっていたわけだ。 かつて荷馬車を引くことを業にしていたという 人が近所に住んでいた。 そういえば、大八車やリヤカーというものがあった が、今や死語である。
落語で江戸の名物といえば、伊勢屋、稲荷に、犬のくそ。 去年50歳の若 さで死んだ桂吉朝が得意にしていた「くっしゃみ講釈」は、犬糞(けんふん)が 物語の発端となる。 犬糞(けんふん)という言い方は、上方のものだろうか。 夜分、若い半ちゃんと美ィ坊が逢引している狭い路地を、講釈師が通りかかっ て犬糞を踏む。 講釈師は下駄の歯についた犬糞を、塀にこすりつけ、たまた ま塀にペターッと張り付いていた半ちゃんも、それを顔にこすりつけられた。 美ィ坊はそんな半ちゃんに愛想をつかし、半ちゃんは講釈師に恨みを抱いて、 復讐劇へと進むのである。
犬の糞を飼い主が持ち帰るようになったのは、いつ頃からだったろうか。 犬 を飼っていないから、持ち帰った糞をどう始末するのか、わからない。 気に なるが、訊きにくいし、訊かないほうがいいような気もする。 トイレに流す のだろうか。 あのまま燃えるゴミとして捨てて、いずれ“やけくそ”となる のだろうか。 たいていビニールに包んで持って帰るけれど、糞とビニールは “糞別”するのだろうか。 それが疑問だ。
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