柳家三太楼の「天狗裁き」2006/03/05 07:02

柳家三太楼の「天狗裁き」。 ご存知、ある男の見た夢を女房が聞きたがり、 隣家の男が聞きたがり、大家が聞きたがり、奉行が聞きたがり、天狗までもが 聞きたがる噺。 夢には、楽しい夢と、悪い夢とがあるというマクラ。 楽し い夢は、なんといっても、好きな女が言うことを聞いてくれる夢。 ブラウス のボタンを自分ではずし始め、「抱いて」などと言う。 悪い夢は、高座でしゃ べっていると、師匠の権太楼が出てきて、真後ろに立ち、ニヤニヤしながら、 両手で「ピース、ピース」とやる。 なかなか止めないので、頭がキレて、「て めぇー、やめろ、バカー」と怒鳴ってしまう夢。 この夢を、たてつづけに、 五回ほど見た、という。

 女房のお滝さんは、「苦しい世帯をやりくりしていたのに」と泣いて「さぁ殺 せ」になり、隣家の「口、堅いよ」という兄弟分は「三年めえの暮、兄ィなん とかしてくれ、と泣いたのは誰だ」「じゃあ八年めえの六月十五日」で喧嘩にな り、店賃を八ツも溜めていた大家は「出てけ、出てってもらおう」となる。 く だらないと大家の訴えを退けた、お奉行様は「店子熊五郎、あっぱれ大丈夫の 志、褒めて遣わすぞ」と、人払いまでして聞きたがり、ついには「拷問、縛っ て松の木にぶらさげろ」となる。 高尾の山中に住む天狗も、聞きたくはない のだけれど、「が、たって、しゃべりたいというなら、聞いてやってもいい」。  三太楼、天狗になった頃には額に汗して、この落語が、人間心理、天狗心理の 深奥をえぐって、上質の心理小説にも匹敵することを証明した。

志の輔のマクラ「私の落語観」2006/03/06 07:04

前座の柳亭こまち(女性)が、白い座布団に替えた。 トリ「新版 蜆売り」 の立川志の輔は、相当気合が入っていた。 この人いつものことだが、出て少 しの間は、緊張して、上がっているようにみえる (扇橋師はしばらく震えてい るから、ベテランでもかなりのプレッシャーがあるのだろう) 。

 まくらは、トリノのオリンピックと寄席の比較。 落語はどんなに巧くでき ても、楽屋に帰って師匠・談志と抱きあって喜ぶことはない。 1/100秒を争 う世界とは違う。 1/100秒は、セイコーやオメガが時計をつくったから、測 れるようになった。 それが入口は、今でも「ヨーイ、ドン」の世界なのがヘ ン。 秒単位なら、同タイムで、日本もメダルが取れたのに…。 見た目、芸 術点というのも難しい。 お笑いと同じ、点数はつけられない。 ここで、小 噺のオリンピックというのを、4コースまでやったんで、まず長くなった。  1コース・「姐さん、粋だねえ」「帰りだよ」、3コース・不眠症の患者に医者 が「二、三日ゆっくり寝ることですな」「眠れないから来ているんです」「薬、 調合しておきますから、朝起きたら飲んで下さい」「だから、眠れないんです」。

去年あたりからブームで、子供たちも落語を聴く。 「寿限無」を一応知っ ている。 学校寄席などでやると、やんやの喝采だそうだ。 このおじさんも 知ってるぜ、といった調子。 その子供たちが青年期になると、「寿限無」なん て馬鹿らしいということになる。 実は「寿限無」、子供への愛情が深いばかり に、お寺でつけてもらった名前の、どれもが捨てられず、名前がつながってし まった、人間の欲の深さがテーマ。 つまり「三菱東京UFJ」と同じ。 落語 は古くない、平成の御代を暗示しているのだ。 大人は、それを認識してほし いよ、大人の皆さん、というのが私の落語観。

 義に強い者に限って、金がない。 だいたい日本人は金持が嫌い。 金持の 家族の仲が悪いと、嬉しい。 飢え、寒さ、貧乏が落語のベース。 今ここで、 金持が自分一人だけでゆっくり聴きたいってんで、貸切にしようと、端から一 万円ずつ渡していくと、どうなるか。 二通りの反応がある。 受け取る人と、 冗談じゃねえという人。 誰もいなくなっちゃうかもしれない。 けれど、落 語は、たった一人の金持よりも、多くの金のない人達(と言いかけて、口ごもっ て)、無駄な金を持っていない人達と、コミュニケーションしながら、やるもの なんです。

「蜆売り」「新版」の訳2006/03/07 08:20

 寒い朝、蜆売りの小僧が、料理屋の店先で断られている。 そこに来た客が、 蜆を全部買ってくれ、あったかいものでも食え、と身の上話を聞こうとする。  男の弟分の熊が来る。 「おっ母さんと姉ちゃんに、玉子焼を持って帰っても いいですか」と訊く小僧は十一、三つの時に父が死に、母と姉は患っている。  男が、母と姉にと五両出すと、小僧は「それはもらえない、毎朝姉ちゃんに、 知らない人からはけしてお金をもらっちゃあいけないといわれている」。 話し たがらないのを無理矢理聞けば、姉は新橋の芸者で、三年前、好き合った紙問 屋の若旦那と一緒になるのを、若旦那の親に反対されて駆け落ちした。 箱根 の宿で、イカサマの碁にひっかかって、姉も売り飛ばされそうになったところ を、隣の部屋の男に助けられ、五十両もらった。 その金が盗み出された刻印 のある金で、若旦那は小伝馬の牢の中、姉は家にはいるが大家が見張り、痩せ て動けなくなってしまった。 若旦那は、金をくれた人がどこの誰だか知って いるが、けして口を割らない。

 「蜆売り」という噺、もとは義賊鼠小僧次郎吉人情ばなしの連続講談。 志 の輔は「次郎吉が自首しないで身代わりを立てるラスト」が気に入らず、がら りと変えたという。 それで「新版」(プログラムの長井好弘さんの解説)。 9 時20分の終演が40分になった長さを、少しも感じさせない熱演だった。 身 代わりに行こうという熊を断って、次郎吉は店を出る。 「俺のために行く、 ゆっくり眠れるために行く」。 「また雪か」(雪を表わす太鼓、三味線)。 ザ ルを忘れて戻って来た小僧に、次郎吉が「もうちょっとするといいことがある かもしれないよ」。 蜆を売らなくてもよいほどのいいことと聞いて、代わりに 売ってくれるのかと思った小僧は、「おじさんに悪いな」。

「夢」=「将来の希望」の初出2006/03/08 08:01

 ありがたいことに毎日、asahi-netの私のフォーラムの方に、適切で博識の コメントをつけてくれる“やまもも”さんが、5日の「天狗裁き」の「夢」の 話に関連して、つぎのように書いてくれた。 現代日本語には、もう一つの「ゆめ」がある。「将来の希望」、である。 この用法、意外と、新しいようだ。『日本国語大辞典』(第2版)では、 この意味での初出は、木下杢太郎(1914年)。このたび出た、3巻 本の精選版でも、同様。

 1914年といえば、大正3年だ。 明治の人を探せ。 こういう時、私がまず 考えるのは、ご存知、福沢諭吉。 網羅的な「語句・事項」索引がないのが難 点だが…。 『福翁自伝』の最後に、これからやりたい三ヶ条というのがあっ たのを思い出す。 本文にあたると「生涯のうちにでかしてみたいと思うとこ ろは」となっていた。 残念。 似た意味で「願(がん)に掛けていたその願が、 (中略)第二の大願成就」の「願」というのもある。 その少し前に、「回顧すれ ば六十何年、人生既往を思えば恍として夢の如しとは毎度聞くところではある が、わたしの夢は至極変化の多いにぎやかな夢でした」「(『西洋事情』などは) 一口に申せば西洋の小説、夢物語の戯作くらいにみずから認めていたものが、 世間に流行して実際の役に立つのみか、新政府の勇気は西洋事情のたぐいでは ない」というのもある。 この「夢」も「夢物語」も「寝て見る夢」だけれど、 「将来の希望」に近い気がするのは、贔屓目だろうか。   そこで詳細な「語句・事項」索引のある夏目漱石、こんなのは『日本国語大 辞典』の編者は当然見ているだろうけれども、念のため。 すると、「夢と現實」 「夢を抱く人」が『虞美人草』にあるというではないか。 『虞美人草』は、 明治40(1907)年の作品だ。 面白くなってきたぞ。

「夢と現實」2006/03/09 07:11

 昭和41(1966)年刊『漱石全集』第三巻『虞美人草』を見る。 朝日新聞連載 は、明治40(1907)年6月23日から10月29日まで、だそうだ。 「夢と現實」 も「夢を抱く人」も、116頁にある。 孤堂先生と娘の小夜子が、京都から東 京へ向う汽車に乗っている。 同じ汽車には、長身痩せ型の甲野さん(27)と、 四角な男・宗近君(28)も乗り合わせている。 小夜子は5年前の16の春に京都 に来た。 その時、元気だった母親は、まもなく亡くなり、今年はお盆を東京 で迎えることになる。

 「古き五年は夢である」「昔の夢は、深く記憶の底に透って、當時(そのかみ) を裏返す折々にさへ鮮かに煮染んで見える。小夜子の夢は命よりも明かである。 小夜子は此明かなる夢を春寒の懐に暖めつゝ」(汽車に載せて東に行く)「車は 夢を載せた儘ひたすらに、只東へと走る。」「夢を携へたる人は、落すまじと、 ひしと燃ゆるものを抱きしめて行く。」(汽車は、ひたすら走っている)

 このあとに、問題の語句が出てくる。  「夢を抱(いだ)く人は、抱きながら、走りながら、明かなる夢を暗闇の遠き より切り放して、現實の前に抛げ出さんとしつゝある。車の走る毎に、夢と現 實の間は近づいてくる。小夜子の旅は明かなる夢と明かなる現實がはたと行き 逢ふて区別なき境に至つて已(や)む。夜はまだ深い。」

 この「夢」は、「はかない、頼みがたいもの。夢幻。」だろうか。 「夢と現 實」は、「ゆめとうつつ」のようだ。 私の夢は、現実の前に、はかなくも消え て行ったのだった。