京都・奈良が空襲を免れた真の理由2006/05/07 06:34

 少し前の朝日新聞の「うんちく」というコーナーに、第二次世界大戦で京都・ 奈良が空襲を免れたのは、ランドン・ウォーナー博士のおかげであるという話 を、事実無根だとする研究があると知って、驚いた。 昭和40年代の国立近 代美術館での平櫛田中展で見た彫刻『ラン(グ)ドン・ウォーナー像』などによ って、ずっと、その人と功績を信じていたからである。 平櫛田中作の胸像は、 京都東山の霊山(りょうぜん)歴史館と茨城県北茨城市の五浦(いづら)美術文化 研究所にあるそうだ(下記の本による、1995年の時点で)。

 図書館で探すと、吉田守男著『京都に原爆を投下せよ ウォーナー伝説の真 実』(角川書店・1995年)があった。 吉田守男さんは、1946年、京都市生れ、 京都大学文学部卒(国史学専攻)で、樟蔭女子短期大学教授。 『世界』1993年 5月号に「京都・奈良はなぜ空襲を免れたか」を発表していた。 この本が出 てからでさえ、10年以上が経っているのに、私はこの研究を知らなかった。

 吉田さんはまず、敗戦直後から今日まで、長い間、日本人の間で言い伝えら れてきた、アメリカ軍はその文化財を守るために京都・奈良など日本の古都の 爆撃を控えたとする[文化財保護説]を、アメリカからの新史料によって、まっ たくの誤りだと解明する。 そもそも文化財を守るために京都・奈良を爆撃す るな、という軍事指令など、どこにも出されていなかった、というのだ。 [文 化財保護説]が誤りなら、だれがその恩人かなどという恩人探しは無意味になる。  ウォーナー博士の功績は、事実無根のつくり話であった。 では、京都が本格 的な空襲を受けなかったのは、なぜか。 それは京都が、原爆投下の主要な目 標として一貫してねらわれ続けていたことと、深く関わっている。 原爆投下 の目標候補に指定された都市には、通常の爆撃がいっさい、禁止されていたか らだ、というのだ。