ロバーツ委員会と「ウォーナー・リスト」2006/05/08 07:06

 「ウォーナー伝説の真偽」を確かめるために吉田守男さんは、膨大なアメリ カの外交文書を調査し、『ロバーツ委員会の報告書』に行き当たる。 太平洋戦 争が勃発してちょうど1年後の1942(昭和17)年12月、アメリカ最高裁判所の H・ストーン長官は、フランクリン・ルーズベルト大統領に手紙を送り、「ヨー ロッパの美術的歴史的遺跡の保護」と、「枢軸国によって略奪された美術品・歴 史的文書を正当な所有者に返還する機構の確立」を援助するための委員会の結 成を提案した。 それで翌43年8月、ロバーツ委員会が結成され、その翌年 には対象地域がヨーロッパからアジアにまで拡大、1946(昭和21)年に、3年間 にわたる活動の『報告書』が政府に提出されている。

 ロバーツ委員会の目的は、枢軸国によって略奪された文化財を取り戻して、 もとの所有者に<返還>することであり、活動はそのための準備だった。 それ が紛失・破損した場合には、同等の価値があると認められる文化財によって弁 償させることとしていた。 委員会の目的の一つとされた占領地域での文化財 の<保護>とは、文化財の移転や保管のことであった。 委員会の活動内容は事 実上<返還>に集中していたため、文化財の<保護>は言葉のみに終わり、多分に 枢軸国の危害と略奪から文明の象徴(=文化財)を保護するという「連合国の大 義」の宣伝の意味しかなかった、という。

 ロバーツ委員会の活動の一部として、日本の文化財についてのいわゆる「ウ ォーナー・リスト」、『陸軍動員部隊便覧(M354-17A)民事ハンドブック 日本  17A:文化施設』が作成された。 それは京都・奈良に限らず、日本全国の主要 な文化施設や文化財を網羅したものだった。 そのリストは、委員会の役割と 関連した「略奪された文化財のリスト」「弁償用の「等価値」の文化財リスト」 を作成するための基礎資料だったのだ。 米軍による爆撃によって焼失した日 本の文化財は、国宝293件、史跡名勝天然記念物44件、重要美術品134件の 合計471件だったという。 「ウォーナー・リスト」は、空襲とは何の関係も なかった。 吉田さんは、その例として、リストにある15の城の内、名古屋 城天守閣、首里城、青葉城など8つもの城が戦火で焼失した、と書いている。