「日本の公衆衛生の父」W・K・バルトン記念の会2006/05/15 07:37

 13日、目黒の東京都庭園美術館の新館ホールで「W・K・バルトン生誕150 年記念講演会」という催しがあった。 W・K・バルトン(1856-99)はスコット ランドの出身、明治政府が上下水道事業を始めるにあたって明治20(1887)年に イギリスから招いた「お雇い外国人」の衛生工学技術者である。 帝国大学で 衛生工学を教えて多くの日本人後継技術者を育てる一方、国内24都市で水道、 下水道の調査、計画、助言などの活動をした「日本の公衆衛生の父」と呼ばれ る人物で、さらに台湾でも同様の業績を残している。 そうした専門分野だけ でなく、写真の大家として日本の写真史にも重要な足跡を残し、浅草に建造さ れた日本最初の高層建築「凌雲閣」(浅草十二階)の設計者でもある。 しかし、 日本と台湾12年間の滞在からの帰国寸前、東京で病没したために、日本にお いて残した優れた業績が、本国ではほとんど知られていない、という。 その 生誕150年にあたり、日本から感謝の意を伝え、今後の友好親善をさらに発展 させたいという願いから、記念事業が企画され、この講演会も持たれた。

 W・K・バルトンは、日本女性荒川満津(まつ)との間に娘・多満子を授かり、 東京の英国領事館で正式の結婚式を挙げた(当時、日本女性との関係を正式なも のとするのは少数派だったそうだ…加藤詔士名古屋大学大学院教授の講演による)。  会場には多満子さんの子孫、バルトンからは曾孫にあたる鳥海幸子さんやメッ ツ・陽子さん、玄孫にあたるケビン・政弥・メッツさんがおられた。 ケビ ン・政弥・メッツさんはニューヨークに津軽三味線の教室をお持ちの音楽家 で、鮎沢京吾(けいご)さんという演奏家と、教室の弟子マイク・ペニーさんを 加えて、津軽三味線の記念演奏をした。 ケビンさんは「玄祖父のことを思っ て皆様が集まってくれているのが嬉しい。玄祖父のことが、よくわかった。玄 祖父が英国と日本を文化でつないだように、津軽三味線を世界へ、世界の文化 をつなぎたい」と話した。 津軽三味線で演奏されたモーツァルトの「アイネ・ クライネ・ナハトムジーク」は、宮川泰さんのいわゆる「あ、いいね、暗いね」 というより「あ、いいね、明るいね」といった、明るく楽しい、どちらかとい えば賑やかで、リズミカルな、思わず笑みのこぼれるような音楽だった。