海よ2006/08/27 08:13

 辰濃和男さんは『歩き遍路』で、土佐、高知県の旅となると、どうしても海 を語ることが多くなるという。 室戸岬、足摺岬、そして土佐湾のあたり、い や、その他の地域でも、海をながめ、海と語らい、海に祈り、海に恐れを抱き ながら歩く日々が格段に多くなるからだ。 その章「高知(2)海よ」の冒頭に、 三好達治の詩が引用されている。 これが素晴しい。

  海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。   そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。

 これを読んで、私が思い出したのは、J・F・ケネディがニューポートのヨッ トクラブで行なった演説の一節だ。

  われわれはすべて血管の中に 海洋が含むのと まさしく同じ割合の塩分 を含む血液を持っている。

  したがって われわれの血液の中に われわれの汗の中に われわれの涙 の中に われわれは塩を持っている。

  われわれは海洋と結ばれている。

  そしてわれわれが海に戻る時 たとえそれが帆走のためであろうと 眺め るためであろうと   われわれが生れ出た所へと 戻っていくのである。

就任演説もそうだったが、学生時代にこれを読んで、アメリカの政治家はな んと詩的な格調高い演説をするのだろうか、と感心した。 それにひきかえ、 日本の政治家の演説のつまらなさは、なんとかならないか、と思った。 その 思いは、45年を経ても少しも変わらない。