太助の「桃太郎」、一琴の「ふぐ鍋」2006/11/01 08:38

 31日は第460回落語研究会。 国立小劇場の新緞帳は、先月の二重蔓牡丹唐 草(三井住友カード寄贈)から、琳派草花図(トヨタ自動車寄贈)に変ってい た。 広い金色をバックに中央にケシの花を配した派手派手見事な一張りだ。

  「桃太郎」   柳家 太助

  「ふぐ鍋」   柳家 一琴

  「岸駒の虎」  桂 文生

       仲入り

  「鮑熨斗」   三遊亭 小遊三

  「寝床」    柳亭 市馬

  柳家太助はキョロキョロと出てくる。 太助で落語研究会に出るのは、これ が(最初で?)最後になるという。 来年3月真打に昇進して、柳家我太楼(が たろう)を襲名する。 名前が変っても、最後になるかもしれない、と。 「桃 太郎」を一生懸命に演った。 真打に昇進させてもらえるというだけのことは ある。 一等地、岩槻の出身、頭の両脇を刈上げた頭が子供をやるのにちょう どよいのだが、子供がおっさんになってしまうのはなぜか。 老齢年金、普遍 性、具現化などというくすぐりは、面白い。 最初で最後のせいか、少し太目 だからか、大汗をかいていた。

一琴は、また西郷さんみたいになった。 一琴が担当している落語協会のメ ルマガ [2006年 10月 下席号 (第135号)]によると、81号でダイエットに成 功と発表、102キロから67キロまで体重を落としたのだが、現在、順調に リバウンド中だという。 小さな声で、優しく始める。 おしゃべりなカミさ んを横に乗せて運転する小噺が面白かった。 余り五月蝿いので踏み込んだら、 おまわりに捕まり、17キロオーバー12,000円罰金だという。 ひたすら謝っ て、かんべんしてもらおうとするのに、ことごとにカミさんが「ウソよ」と口 を出す。 テールランプは3週間前から切れていたし、免許証は持って来てい なし、最後は「ブスー」と叫んで、ふだんはいい人なんだけど、お酒が入ると こうなる、と。 「ふぐ鍋」という噺、ふぐの旨さを知って、なんとも思わず に食べるようになってからは、あまり効かない噺だということがわかった。

桂文生と「岸駒(がんく)の虎」以前2006/11/02 07:44

 桂文生、「岸駒(がんく)の虎」。 知らない噺家、知らない噺だった。 落 語協会の「芸人紹介」によると三代目桂枝太郎の弟子、昭和49(1974)年真 打昇進、三代目桂文生を襲名。 昭和14(1939)年宮城県生れ、昭和59(1984) 年、落語協会に移籍、五代目柳家小さん門下になった、という。 下を向いて 出てくるので、ハゲ頭が目立つ。 柔和な顔だが、皮肉なことを言う時に、口 を曲げる。 「岸駒の虎」は、遠回りして損した噺の一つ、自分なりに脚色し て、15年ぶりに演るという。 知らないはずだ。

 趣味に書道(師範)、都々逸創作(しぐれ会同人)とある。 前座はネタ帳を 筆で書くのだが、紙切りの正楽が「これあなた書いたの、箸で書いたの?」と 言ったとか、「道具屋」の放送をやった本人に「よかったよ。あれ何ていう落語」 と訊いたという話をしていたが、実はご本人が楽屋で相当うるさいのではなか ろうか。 習字の先生が古希で開いた個展のお祝いに、田舎の甥にもらった硯 を贈ったら、たいへんなものだったとか、絵描きの友達が何人もいるというマ クラが、ちょっとぶっている感じに聞こえた。  絵の展覧会の小噺はよかった。 「美人画だっていうのだけれど…、係の人 ッ、これちっとも美人画じゃあ、ないじゃない」「それ、鏡ですよ」

 師匠の兄弟弟子の文治(長く伸治だった、本名関口達雄)は絵がうまく、南 画をよくして、いつも鞄の中に絵や書の道具を入れていた。 同輩の痴楽が倒 れて、長く患っているのを見舞い、うるさく喋っていると、痴楽が「たっちゃ ん、かえってくれ」といった。 文治は「かいてくれ」だと思って、道具を広 げた。 文生の名は、そのたっちゃんが付けてくれた。 円生のところに挨拶 に行くと、「文楽の文に、円生の生、ずいぶんな名前ですな」というのを文治「こ れが三代目、二代目まではポシャッタ名ですから」、円生「ポシャッタ名でげす か、よござんしょ」となったという。

 詩吟を習っていたことがあった、「ベンセイシュクシュク」というのをやった が、あれは頼山陽の作だというところから、ようやく「岸駒(がんく)の虎」。

「岸駒(がんく)の虎」全篇2006/11/03 08:41

 そこで「岸駒(がんく)の虎」、珍しい噺なので、梗概を記しておく。 田中 優子さんの解説に、岸駒は江戸時代の画家、岸が姓で、駒が名前、有栖川宮に 仕えて雅楽助(うたのすけ)岸駒、虎の絵が得意で、清水寺の灯籠に描いた虎 は、あまりの見事さに、夜な夜な灯籠から抜け出して境内を歩き回ったり、水 を飲みに出かけて、朝には元に戻っていたという逸話まである、という。

芸州浅野家に仕えていた頼山陽は親孝行で、母親を広島から京都見物に呼ん だ。 その土産に何がいいかと訊けば、母は「久太郎や、岸駒の虎がいい」、義 理のある人に土産にしたいという。 岸駒といえば、禁裡に出入りすることを 鼻にかけ、傲慢と聞く。 山陽は六本木の家から出かけて行き「大先生を」と 頼む。 「三本木の先生か」と岸駒。 絵の依頼は多く、門前市をなす、昨夜 も三千人の依頼を受けた、「虎の絵を」と言うと、執筆料がいささか高い、一幅 百両、二幅で二百両、だという。 母の頼みだ、やむを得ず山陽は注文し、一 ヶ月待った。 出来上がった一幅は母に、もう一幅は、贔屓の力士、小笠原大 五郎の化粧回しの模様に使った。 「岸駒の虎」を白絹にそのまま使った回し は、市中の評判になり、大五郎は大層な人気となった。 一方、岸駒の傲岸さ や画料に関して、悪い評判も立った。

 怒った岸駒は、頼山陽になんとか仕返しをしたいと、山陽の字を贔屓の役者 嵐喜之助の着物の模様にすることを思いつく。 岸駒が山陽を訪ねて、書を認 めてもらいたい「何の字でもかまわない」と頼むと、山陽が書の依頼は多く、 門前市をなす、昨日も三千人の依頼を受けた、と前金で二百両受け取り、岸駒 に墨をすらせて、すぐ書いた。 「天照(あまてらす)皇大神宮 山陽謹書」。  こんなのを着て、舞台に出たら、首が飛ぶ。 山陽は、役者が一枚も二枚も上 だった、というお話。

 落ちがピンと来ず、といって、仕込んでおく訳にもいかないし、長く演じら れないのもなるほどという噺であった。

小遊三の「鮑熨斗」、市馬の「寝床」2006/11/04 07:09

 小遊三の「鮑熨斗」。 「笑点」の小遊三だ、2004年2月の東京落語会で「文 違い」を、その年暮の落語研究会で「引越しの夢」を聴いている。 今年正月 のこの会では「文違い」でトリをとったが、私は「何で小遊三なんかトリにす るんだ、という出来だった」とくさしている。 「鮑熨斗」は前座噺の部類に 入る噺かと思うが、寄席でやりなれているのだろう、柄にも合って、まずまず の出来だった。 「いずれ名古屋から津波が来ます」あたりでは、噴き出して しまった。 おかみさんのお光さんが利口者の、結構人の名を甚兵衛さんでや る。 甚兵衛さんというと、年寄り臭くて、余り与太郎な感じがしないのだっ た。

 トリは市馬の「寝床」。 市馬はいい、今や脂が乗っている時期にさしかかっ てきたというところか。 出れば、ある程度楽しませてくれることが、請合え る。 どれも安心して聴いていられるようになった。 「寝床」は、誰でもよ いものを聴いた記憶があるから、難しいネタだ。 それを快調に演じて、十分 に聴かせた。 これから、もっと大きくなっていくのが、楽しみな噺家だ。

谷中の朝倉彫塑館で2006/11/05 07:18

 2日の木曜日、夏に白金の「千年茶館」に行ったゼミの仲間と、谷中根津の 散策に出かけた。 その一人KT君が千駄木在住で、地元を案内してくれたの だ。 日暮里駅の西日暮里寄りの改札口で集合。 KT君は江戸時代からある 道を歩くというプランを立て、現在の周辺案内地図と幕末の地図をカラーコピ ーで用意してくれていた。 古地図にもある月見寺・本行寺と経王寺で、門扉 に残る彰義隊の戦の弾痕を見た後、朝倉彫塑館へ行く。

 前に一度来たことがあったが、ゆっくりと見て歩くと、新しい発見がいくつ もあるのだった。 たとえば「平和来」の像。 三田の山に、小泉信三さんの 碑文で「丘の上の平和なる日々に 征きて還らぬ人々を思ふ」と刻まれたあの 像が、ここにあった。 朝倉文夫作だったわけだ。 清潔で純情な青年の表情 に打たれる。 今時の若者にはない顔だ。 こんな青年が、戦に出て行ったの だ。 三田ではじっくりと眺めたことのなかったことに、あらためて気づく。  現代の女子学生が、太平洋戦争に行く青年に恋してしまう、短編小説でも生ま れそうな顔をしている。 「平和来」の視線の先に、早稲田大学の構内にそそ り立っている「大隈重信像」もあって、アトリエは早慶戦の様相を呈している のだった。

 屋上庭園にも、初めて登った。 途中に朝倉文夫が蘭を趣味にしていた煉瓦 とタイルのサンルームがあった。 屋上からの眺めは、ごみごみした町中に高 層ビルがニョキニョキ生える、昔からずっと都市計画のない、不揃い東京の絶 望的風景であった。