桂文生と「岸駒(がんく)の虎」以前2006/11/02 07:44

 桂文生、「岸駒(がんく)の虎」。 知らない噺家、知らない噺だった。 落 語協会の「芸人紹介」によると三代目桂枝太郎の弟子、昭和49(1974)年真 打昇進、三代目桂文生を襲名。 昭和14(1939)年宮城県生れ、昭和59(1984) 年、落語協会に移籍、五代目柳家小さん門下になった、という。 下を向いて 出てくるので、ハゲ頭が目立つ。 柔和な顔だが、皮肉なことを言う時に、口 を曲げる。 「岸駒の虎」は、遠回りして損した噺の一つ、自分なりに脚色し て、15年ぶりに演るという。 知らないはずだ。

 趣味に書道(師範)、都々逸創作(しぐれ会同人)とある。 前座はネタ帳を 筆で書くのだが、紙切りの正楽が「これあなた書いたの、箸で書いたの?」と 言ったとか、「道具屋」の放送をやった本人に「よかったよ。あれ何ていう落語」 と訊いたという話をしていたが、実はご本人が楽屋で相当うるさいのではなか ろうか。 習字の先生が古希で開いた個展のお祝いに、田舎の甥にもらった硯 を贈ったら、たいへんなものだったとか、絵描きの友達が何人もいるというマ クラが、ちょっとぶっている感じに聞こえた。  絵の展覧会の小噺はよかった。 「美人画だっていうのだけれど…、係の人 ッ、これちっとも美人画じゃあ、ないじゃない」「それ、鏡ですよ」

 師匠の兄弟弟子の文治(長く伸治だった、本名関口達雄)は絵がうまく、南 画をよくして、いつも鞄の中に絵や書の道具を入れていた。 同輩の痴楽が倒 れて、長く患っているのを見舞い、うるさく喋っていると、痴楽が「たっちゃ ん、かえってくれ」といった。 文治は「かいてくれ」だと思って、道具を広 げた。 文生の名は、そのたっちゃんが付けてくれた。 円生のところに挨拶 に行くと、「文楽の文に、円生の生、ずいぶんな名前ですな」というのを文治「こ れが三代目、二代目まではポシャッタ名ですから」、円生「ポシャッタ名でげす か、よござんしょ」となったという。

 詩吟を習っていたことがあった、「ベンセイシュクシュク」というのをやった が、あれは頼山陽の作だというところから、ようやく「岸駒(がんく)の虎」。