「岸駒(がんく)の虎」全篇2006/11/03 08:41

 そこで「岸駒(がんく)の虎」、珍しい噺なので、梗概を記しておく。 田中 優子さんの解説に、岸駒は江戸時代の画家、岸が姓で、駒が名前、有栖川宮に 仕えて雅楽助(うたのすけ)岸駒、虎の絵が得意で、清水寺の灯籠に描いた虎 は、あまりの見事さに、夜な夜な灯籠から抜け出して境内を歩き回ったり、水 を飲みに出かけて、朝には元に戻っていたという逸話まである、という。

芸州浅野家に仕えていた頼山陽は親孝行で、母親を広島から京都見物に呼ん だ。 その土産に何がいいかと訊けば、母は「久太郎や、岸駒の虎がいい」、義 理のある人に土産にしたいという。 岸駒といえば、禁裡に出入りすることを 鼻にかけ、傲慢と聞く。 山陽は六本木の家から出かけて行き「大先生を」と 頼む。 「三本木の先生か」と岸駒。 絵の依頼は多く、門前市をなす、昨夜 も三千人の依頼を受けた、「虎の絵を」と言うと、執筆料がいささか高い、一幅 百両、二幅で二百両、だという。 母の頼みだ、やむを得ず山陽は注文し、一 ヶ月待った。 出来上がった一幅は母に、もう一幅は、贔屓の力士、小笠原大 五郎の化粧回しの模様に使った。 「岸駒の虎」を白絹にそのまま使った回し は、市中の評判になり、大五郎は大層な人気となった。 一方、岸駒の傲岸さ や画料に関して、悪い評判も立った。

 怒った岸駒は、頼山陽になんとか仕返しをしたいと、山陽の字を贔屓の役者 嵐喜之助の着物の模様にすることを思いつく。 岸駒が山陽を訪ねて、書を認 めてもらいたい「何の字でもかまわない」と頼むと、山陽が書の依頼は多く、 門前市をなす、昨日も三千人の依頼を受けた、と前金で二百両受け取り、岸駒 に墨をすらせて、すぐ書いた。 「天照(あまてらす)皇大神宮 山陽謹書」。  こんなのを着て、舞台に出たら、首が飛ぶ。 山陽は、役者が一枚も二枚も上 だった、というお話。

 落ちがピンと来ず、といって、仕込んでおく訳にもいかないし、長く演じら れないのもなるほどという噺であった。