鴎外ゆかりの宿で東京の温泉体験2006/11/07 06:32

 根津神社に裏から入ったあたりのたたずまいがよいというので裏から入り、お参りをして表門を出た。 不忍通りを突っ切って、芋甚で小倉アイスの最中 を買い右折、かじりながら細い道を歩く。 あとで一杯やることにしている小 料理屋うさぎに声をかけ、言問通りに出、せんべいの大黒屋のところを日本料 理の魚善の方へ左折、昔は谷中清水町といったという池之端四丁目、三丁目の、 裏道を進む。 このあたり古地図で三河吉田藩松平伊豆守の屋敷となっている が、吉田は豊橋、この松平は大河内家で、明治になってこの家の正統で千葉大 多喜城主の嫡子大河内正敏が継いで子爵、科学者としても秀で「理研コンツェ ルン」の総帥になった人である。 女優の河内桃子さんはその孫、河内桃子さ んの妹が本日の案内人と同級生だったという。 その大河内邸が分譲され、こ の辺の住宅地になった。 

 森鴎外は明治22(1889)年3月海軍中将赤松則良(少年士官の時、福沢と いっしょに咸臨丸でアメリカに行った)の長女登志子と結婚、この地に住んだ。  今回の谷中根津散策の目玉は、その鴎外旧宅を擁する水月ホテル鴎外荘の温泉 に入ることだった。 午後3時から入れる重炭酸ソーダ泉、入浴だけだと1,150 円、少し赤い、熱い湯だった。 いつもはゆっくりは入れるそうだが、あいに く、連休前のせいか、泊り客、宴会客が多く、少し混雑していた。 ともかく、 珍しい東京の温泉を体験、散歩の疲れをさっぱりと洗い流すことができた。