「国分寺」・戦乱の時代・鉛ガラス ― 2006/11/10 07:53
「正倉院展」の会場に入って、最初にあったのが「国分寺」関係の宝物で、 先日武蔵国の国分寺に吟行したばかりだったから、不思議な縁を感じた。 大 和国の国分寺である東大寺の塔に安置された「勅書銅板」や「金光明最勝王経」 の包み「金光明最勝王経帙(ちつ)」があった。 聖武天皇の事蹟で最もよく知 られているのは、この国分寺・国分尼寺を発願し、東大寺大仏を建立するなど、 仏教による国家鎮護を願ったことだ。 「金光明最勝王経」は、国ごとに建立 された官立の寺院である国分寺が、国分寺たることを証明する貴重なものであ った。
聖武天皇の時代は、けして安寧の時代ではなかった。 疫病が流行り、内乱 があるなど世の中が乱れていた。 仏教による国家鎮護を願ったのは、そのた めだ。 『国家珍宝帳』に記された宝物の内、今も残っているのは4分の1ぐ らいだそうだ。 400点ほどあった武器や武具が、その後持ち出されてしまっ たためで、戦争の多かったことがそれからも分かる。
実際に宝物を見てみると、テレビや写真で見たのとは、大きさが違う。 テ レビなどは、縮小拡大の物差しがバラバラになるからだと気づく。 色や美し さも同様。 緑色のガラス皿「緑瑠璃十二曲長坏」は、小判形でなんとも美し い色をしていた。 あの時代に、どうやって作ったものか、元ガラス屋にも分 からない。 全部で6点の正倉院のガラス器の内、ほかは「白瑠璃碗」などペ ルシャ産のソーダ石灰ガラスだが、これだけは鉛ガラス(いわゆるクリスタル グラス)なので、中国産と推定されているそうだ。
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