三田の戦没学生記念碑 ― 2006/11/11 07:09
7日、三田の演説館に福澤研究センターの講演会を聴きに行ったので、「平和 来」の銅像を見て来た。 風雨にさらされてきたせいか、5日に書いた朝倉彫 塑館の像より、シャープさに欠けるような気はしたが、まさしく朝倉文夫の同 じ作品であった。
今村武雄さんの『小泉信三伝』によると、小泉信三さんは戦没塾員(慶應で は卒業生をこう呼ぶ)を記念することを熱心に主張したが、欧米の大学のよう に、鄭重なことはできず、昭和33(1978)年末、小泉さんの志を生かそうと する昭和7年卒業の人々が卒業25年を記念して醵金し、三田のキャンパスに 朝倉文夫作のブロンズ青年像「平和来」を建てるにとどまった、という。
今は「平和来」の像の近くに、本を開いた形の碑がある。 「還らざる友よ」 と題し「君の志は/われらの胸に生き//君の足音は/われらの学び舎に/響 き続けている」と刻んである。 裏に「還らざる学友の碑」「この碑は今次大戦 において志半ばにして逝った学友を偲び慶應義塾が建立する 平成10年11月 慶應義塾長 鳥居泰彦」とあった。
白井厚編『大学とアジア太平洋戦争』(日本経済評論社)によると、慶應義塾 大学関係の戦没者は約1,528名が確認されているという。(1997.8.15.「等々力 短信」第781号)
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