カタカナ英語、聞かない英語 ― 2006/11/14 07:08
サミュエル・ジョンソン博士(1709-84)の語録の中で、伊丹レイ子先生が プリントの最初に掲げたのが、つぎの言葉だった。
“If a man does not make new acquaintance(友達)as he advances through life, he will soon find himself left alone. A man, Sir, should keep his friendship in constant repair.”
伊丹先生の訳「もし人が彼の人生において年老いていくにつれ新しい友人を 作らなければ、彼はまもなく自分が一人ぼっちであることに気がつくであろう。 人間は友情を保つために常に修繕を必要とするのだ。」
伊丹先生は、日本人がカタカナ英語に毒されているとして、その誤用には厳 しい態度で臨まなければならないという。 例えば、この言葉を語った相手は、 王立美術院の初代院長のSir Joshua Reynoldsだが、ジョシュア「レイノルズ」 ではなく、「レノルズ」と書くべきだ。 この言葉の中のrepairについて、日 本人は家を直すことをreformするというけれど、それはrepairで、別の言葉 でいえばalter,remodel,mendだ。 reformというのは、心根の悪い人を直す ことで、reform school(少年院)やReformation(宗教改革…カトリックが悪 いから改革する)などの例がある。 慶應義塾創立150年記念グッズの中に「ポ ーチ」(小物入れ)というのがあって、直してもらった。 「ポーチ」porchは 車寄せ、玄関の日の当る所のことで、あれは「パウチ」pouch と言わなければ ならない。 「パウチ」は、もともとカンガルーなどの腹袋のことだから…。 こういう小さな所から神経をとがらせて、現代の英語を改革していくことが、 ジョンソン博士の今日性だと、伊丹先生は言われた。
伊丹先生が強調されたことで、「日本人は英語を聞かないから、話せない」と いうのが、印象に残った。 子供は母の言葉を聞いて、しゃべれるようになる。 母国語ではなくて、母語だ。 聾唖者がしゃべれないのは、そのためだ。 赤 ん坊が泣くのは、何かを聞いているのだ。 体の表現が大切だ。 まず、聞か なければならないというところから、言語の教え方の慣例を破ろうと思う、と 話された。
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