「酉の市」の起源と特色2006/11/17 07:52

 9日の夏潮会で、私が選句したのは次の七句だった。

 浅草に佳きバーひとつ酉の市        英

 地下鉄に小さな熊手持つてをり       〃

 酉の市の人波をゆくソフト帽        和子

わが願い程の小さき熊手買ふ        ひろし

 山茶花に一瞬鵯の空騒ぎ           〃

 山茶花の路地にいつもの刃物研ぎ      〃

 山茶花の真白と寄ればほのと紅       和子

 英主宰の句を二つ頂いたのは手柄としても、ひろしさん三句、和子さん二句 と、偏っていたのには、びっくりした。   そのベテラン酒泉ひろしさんによる「酉の市」の季題解説がまた、素晴しか った。 「酉の市」は「酉の祭(まち)」ともいい、その昔、関東武士の武運を 祈る祭礼として始まった。 祭神は日本武尊で、その命日が11月の酉の日だ ったため、祭礼の日と定め、その日に立つ市が「酉の市」である。 関東特有 の行事で、名古屋・静岡にも残っていることから、家康が江戸に持ち込んだと いう説もある。 市が始まって以来、一度の中断もなく続いていて、そういう 市は珍しい。 日本武尊が祭神の「武運」を祈る祭礼だったのが、江戸時代の 戦もない長い平和で、参る人が減ったのを、「武運」を「開運」と拡大解釈し、 商売繁盛、家内安全、無病息災、安産等を祈るようになっていった。 市も最 初は生活にかかわる物的交流だったのが、泰平のうちに生活にかかわりのない 縁起物の市が立ち、物見遊山の人の交流へと変っていった。 大衆の心のゆと りが、この「酉の市」を定着させ、庶民の文化になった、という。 縁起物の 熊手は、値切り買いが常識で、まけさせた分を祝儀として払い、共に喜び手を 締めたりする。 築地の波除神社が、非常によくまけるそうだ。 日本武尊は、 弁慶のような身体の大きな人で、その武器の一つが熊手だった。 大鳥(鷲) に乗って現れる、その鷲の爪が熊手だという説もある。(大鳥神社、鷲神社とい うのは、そこから来ていたのかと、初めて知った。)  きのう16日は二の酉、今年は三の酉(28日)まである。