幸田家と「塔」、獄中への手紙 ― 2006/11/25 07:03
青木玉さんが幸田の家と「塔」の縁は深いという一つはもちろん、露伴の名 作『五重塔』である。 当時まだ著作権というものがよく確立しておらず、原 稿の「買い取り制」というものが行われていた。 悪い本屋(出版社)は一度 本を出して、しばらく寝かせておいて、期限が切れてから、刷り直すというよ うなことをやっていた。 昔の赤本、黄表紙といった時代の出版形態が残って いたのだ。 岩波文庫、円本の時代が来て、ある本屋のところにあった『五重 塔』を、小林勇が取り戻してくれ、岩波文庫の一冊になった。 その印税が、 露伴のもとに戻った母子を養ってくれた、という。
もう一つの「塔」は、母・文がその白鳳期の工法での再建にかかわった斑鳩、 法輪寺の三重塔だ。 七十歳を目前にした文は、奈良に仮住まいして、工事を 完成にいたるまで見守った。 その一部始終は西岡常一(父西岡楢光、弟楢二 郎)という宮大工の棟梁の名とともに記憶されている。
横浜事件に関連して、出版関係者が受けた弾圧で、小林勇が逮捕投獄された。 露伴は長野に疎開中で、炭しか暖房のない中、寝たきりの状態だったが、それ を大変心配した。 子でも、身内でも、弟子でもない、ただ本を書かせる、書 くだけのつながりだったが、国のあり方について、理解が素直に通らないとこ ろでの収監を、なんとか慰めたいと考えた。 小林勇のライバルである編集者 (彼が考証・史伝ばかり書いていた露伴から、小林を出し抜いて「幻談」など の小説を掠め取った話も面白かった)の手を介して、文が代筆した手紙が獄中 に届けられる。 ちらっと見ることの出来た小林勇は、この人のことを知って いるかと検事に訊かれて、累が及ぶのを恐れ、知らないと言ったという。 手 紙の現物は検事のところで消え、別に岩波茂雄に送られた写しが残っていて、 展覧会に出ている。
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