苦しい時のなぐさめ2006/11/26 07:08

露伴の小林勇宛「獄中への手紙」の写しが、幸田文による報告の手紙ととも に『岩波茂雄への手紙』(岩波書店)に収録されている。 1945(昭和20)年 7月15日付である。 「其の後如何 足下の拘禁せられし由をきゝて後 日夕 憂慮にたへず」で始まり「たゞ今の時にあたつては足下がみづからを持して厄 に堪へ天を信じて道に拠り自ら屈しみづから傷むことなきをねがふのみ おも ふに我が知る限り足下の為す処邦家(国家)の忌諱(きき)にふるゝ事なきを 信ず まさに遠からずして疑惑おのづから消え釈放の運(はこび)に至るべき をおもふ」と続く。 さらに終りの部分では「足下またまさに人知らずして慍 (いか)るの念を抱くことなかるべし人悲運に際して発する処は心平らかなら ずして鬱屈詭詖(きひ)に至るあり 冀(こいねがわ)くは泰然として君子の 平常心を失はざらむことを欲す 即ち遠からずして晴天白日足下の身を包まむ  此の意を書していさゝか足下をなぐさむのみ 草々     露」という。

           青木玉さんは、幸田家を訪問した小林勇が一杯飲んだ席で、母親の芋の煮た のが旨いといい、母親が「勇の手には大きなシャモジを持たせてあるからね」 と常々言っていたと、語ったという。 それは静脈が際まで目立つ手だった。  玉さんは、この人は父、母が持たせてくれたものの大きい、可愛がられっ子だ ったんだ、と思ったそうだ。 そういうことが、横浜にいた(獄中)間の助け になったはずだ(このあたり涙声)。 ものの考え方は揺るがない。 一杯飲ん だ時に話したようなことを、苦しい時に思わぬはずがない。 親と子のつなが り、家族のつながり。 そういうつながりが、今の世の中で、遠くなっている ところがある、と青木玉さんは話を結んだ。