青木玉さんの江戸言葉 ― 2006/11/27 06:41
青木玉さんの話の中に、江戸言葉というか、幸田家に伝わる言葉なのか、と 思われるものがいくつか出てきた。 初っ端の、天気の悪いところに、という のに、「気難しい天気」と言い、最後に「よたな話で」と言った。
露伴は「一生、筆一本で渡った人」で、そういう職業が確立していなかった 時代に「度胸のいい人」だった。 目の前で、記録を取ることを許さない「扱 いにくい爺さん」で、来宅した編集者達は、電信柱の脇や近所の蕎麦屋で、急 いでメモした。 明治19年に電信技師として北海道へ行く。 ニシン漁の盛 んな時代、ニシン漁は一大産業で、その連絡を通信する新電信局が出来たのだ。 二年いて、文学や学問について、教えを受ける師も語り合う友人もいない、読 む本もない(お寺にお経があるだけ)ために、辞めて帰京した、「ぞろっと帰っ てきた」。 父親は「なぜ、おめおめ帰ってきた」と叱った。 家の手伝いを、 何でもさせられた。 米を研ぐのから、掃除や経師も。 展覧会に出ていた小 林勇に贈った習字手本の拓本法帖は、露伴が羽織の裏で表装したものだが、そ れは父親に習った。 幸田の家の幕府の表御坊主衆というのは、それ相応な学 問と、茶道をはじめ、遊芸全般に通じ、なんでも出来なければ務まらない。 紙 類をまとめて表装するなぞは、御手の物だ。
小林勇を出し抜いて露伴に小説を書かせた編集者が帰るのと、狭い階段で小 林がすれ違った。 上下で睨み合いになったところを、文が声をかけたので「何 だかわやになった」(この「わや」は『広辞苑』によると関西方言、文の奈良滞 在の影響か)。 その時出来た「幻談」という小説に、向島に住み、釣好きだっ た露伴は、こう書いている。 隅田川で釣をしていて「屋の根(?)が三寸下 がって、こづむ(偏む?か)、小さくなる」夜明け前の一時、世の中が、夜気に つつまれて真に暗くなる瞬間がある。 全部が夜の支配に入る。 そこから、 明け方に向って、汐も風も、「いごき」(動き)出す。
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