小林信彦さんの『うらなり』 ― 2006/11/28 06:33
23日の「B型ヒーロー」に書いたように、小林信彦さんの『うらなり』(文 藝春秋)を読んだ。 漱石の『坊つちやん』を、「うらなり」古賀という英語教 師の視点から見直し、その後日談を創作したものだ。 あの事件から約30年 後の昭和9年、古賀と山嵐の堀田が東京銀座で再会する。 「うらなり」は日 向の延岡には2年しかいないで、姫路の商業学校に移り、10年ほど前からはチ ャールズ・ラムを真似てもよいような心境になって、土地の雑誌に随筆など書 いている。 山嵐は辞職後、東京に出て数学教師を続け、退職後、数学の参考 書を書いたのが版を重ね、神戸で講演をしたという新聞記事を「うらなり」が 読んでの再会だった。 マドンナが大阪船場の金持の木綿問屋に嫁していて、 大正15年秋に開局した日本放送協会大阪局で、「うらなり」が随筆の話をした のを聞くあたりの展開は、なかなか面白かった。
しかし、全体として、どうもすっきりしない。 名前も思い出せないあの数 学教師(24)、小作りの、江戸っ子で、小倉の袴をはいた、人の心に土足で入 ってくるような、思慮分別に欠けた、愛想の悪い、「うらなり」が「五分刈り」 とあだ名をつけた男として、「坊っちゃん」は脇役にされている。 それが、し っくり来ないのだ。 『坊つちやん』を読み返してみる。 短文を連ねたテン ポもよく、やはり痛快な物語という印象だった。 思い切りのすこぶるいい、 竹を割ったような気性の主人公「坊っちゃん」も、愛すべきものがある。
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