小説『うらなり』を論ず2006/11/29 07:54

 小林信彦さんと文藝春秋社は『うらなり』に、本編が短かったためか、「創作 ノート」を付けて失敗した。 言い訳がましくなってしまった。 「うらなり」 を語り手に「坊っちゃん」を脇役にする物語を構想した小林さんは、自論を補 強して自信をつけるために、「赤シャツ」のような文学士(?)の力を借りた。  それは研究書『漱石作品論集成第二巻』(桜楓社)所収の有光隆司氏の論文「『坊 つちやん』の構造―悲劇の方法について」だ。   「創作ノート」の196頁に〈坊っちゃん〉問題というのが出てくる。 『坊 つちやん』では、「語り手の〈おれ〉には名前がないのである。」「主人公をさし 示す意味での〈坊っちゃん〉という言葉も、ずっと出てこない。物語の終りの 方で、吉川が、「あのべらんめえと来たら、勇み肌の坊っちゃんだから愛嬌があ りますよ」と嘲笑し、ここで初めて〈坊っちゃん〉が出てくる」とある。  しかし、『坊つちやん』を読むと、(一)の終りの方で、任地に立つ三日前に 清を訪ねると、風邪で寝ていた清が、「おれの来たのを見て起き直るが早いか、 坊つちやん何時家を御持ちなさいますと聞いた。」  (七)の真中へん、清から来た返事の手紙の中にも、「坊つちやんの手紙はあ まり短過ぎて、容子がよくわからない」「先達て坊つちやんからもらつた五十圓 を、坊つちやんが、東京へ帰つて、うちを持つ時の足しにと思つて、郵便局に 預けて置いた」というのがある。

 『うらなり』で堀田(山嵐)は辞職後、ずっと東京(一時、千葉)で数学教 師をしていたわけだが、東京に帰ってから街鉄の技手(『うらなり』は「ぎて」、 全集本『坊つちやん』では「ぎしゆ」とルビ)になった〈坊っちゃん〉につい て、技手から技師になったという噂もあったというだけで、その後をまったく 知らないことになっている。 「葉書の一枚もよこせばいいのだが、なにしろ 手紙一つ書くのに十日もかかる不精者ですからな」というから、当初は堀田の 住所も知っていた。 自分も学校を辞めて堀田と新橋まで一緒に帰って来た〈坊 っちゃん〉、つまり『うらなり』のいわゆる敗者仲間が、同じ東京にいて、連絡 を取り合わないだろうか。