正朝の「黄金餅」2007/10/03 07:43

トリは春風亭正朝である。 「黄金餅」という大ネタに挑んだ。 2001年の 11月からつけている<小人閑居日記>の「落語」を「黄金餅」で検索しても、 演った人は出てこなかった。 出てきたのは、まず志ん朝が亡くなった後で、 志ん朝には気の毒なことをしたのだが、私は志ん朝に点が辛く、「志ん朝はよう やく、志ん生の呪縛から解放されたといえるのではないだろうか」と書いたの は、落語研究会で『黄金餅』を聴いた平成9年(1997)4月であった(等々 力短信 第769号)という記事だった。 その次は、志ん朝が落語研究会で かけた演目のリストで、「黄金餅」は三回やっていた。 もう一つ、円菊の思い 出話に、志ん生は『黄金餅』を稽古だけで8年かかった、というのがあった。  つまり志ん生と、志ん朝のそれを、忘れることの出来ない、大ネタなのである。

 正朝は、肩肘を張らずに、淡々と、オーソドックスに演った。 聴かせどこ ろの下谷山崎町(上野駅前あたり)から、麻布絶口釜無村までの、例の地名の 言い立ても、割とゆっくりと、奇をてらわずにやっていた。 それは、それで よかったのではないか。 崩しや自分なりの工夫は、これからのことだろう。  ただ、ムナワリ長屋と言ったが、やはりムネワリだろう。