苦い記憶の残る場所2007/10/19 07:53

 「関口知宏の中国鉄道大紀行」には、反日感情を持った人が登場しない(私 の見た範囲だが)。 当然、汽車の中にも、いろいろの体験や家族の記憶や思い を抱いている人はいるだろう。 9月10日には徐州の駅を通過している。 う ろ覚えだが「徐州、徐州へ人馬は進む」と軍歌にある徐州だろう。

 10月16日BS2(14日ハイビジョン)で放送していたのは、瀋陽からの中継 だった。 旧満州時代には奉天と呼ばれていた街である。 銀座や新宿の街頭 から中継しているといっても、わからないような大都会である。 そして四方 八方で、ビルが建設中だ。 7年前に来たことがあるという通訳の陳捷さんに よれば、様相は一変しているそうだ。 街の周辺にもお洒落な住宅街ができて いて、びっくりしたという。

 その中継場所から、大通りをまっすぐに行ったところに、瀋陽の駅がある。  赤レンガの建物は、東京駅に似ている。 1910(明治43)年に日本が建てた 奉天駅である。 駅の周囲にも、旧南満州鉄道奉天共同事務所ビル(1912年) など赤レンガ造の建築物が並んでいる。 旧満州で日本が整備した鉄道を始め とするインフラには、軍事的な目的もあった。 日本人にとっては苦い記憶も 残るこれらの建物について、遼寧省当局は歴史的・芸術的価値を認めて、保存 することを決めたという。 駅前では地下鉄の工事中だった(中国で地下鉄の ある都市は、七つか八つだそうだ)。 関口知宏は、かつて日本がつくったこれ らの建築物や鉄道について、当時、日本が中国で壊したものとセットで考えな ければならない、そういうことを心にとめて、旅を続けて行きたい、と話して いた。