初日雨、翌日快晴の信州旅行2007/10/29 08:44

 落語研究会はいったんお休み。 27日、28日の日記のネットへのアップ時 間が変則的になったのは、一泊旅行をしていたためだ。 福沢諭吉協会の第42 回史蹟見学会に参加させてもらった。

 主な見学の目的は福沢と信州佐久の名家神津家のかかわりのあとを訪ねるこ とにあった。 信州北佐久郡志賀村(現・長野県佐久市志賀)の神津家は戦国 時代から代々この地の豪族豪農として続いてきた名家で、明治になるといち早 く一族の子弟を東京に遊学させ、明治7年3月当主神津吉助は弟・国助、姉の 子・茂木吉治を慶應義塾に入学させた。 吉助の長男で後に神津牧場を創設す る邦太郎も慶應に入学、中退して上海のセント・ジョーンズ・カレッジに学ん だ。 そうした関係から、福沢と神津一族は深く交わり、福沢は財産運営や一 族間の争いごとの調停などの相談にのっている。

 神津家には代々九郎兵衛を名乗る吉助の「黒壁家」と、同族の「赤壁家」があり、「赤壁家」も子弟を慶應 に入学させるなど、福沢と密接な関係を結んだ。 「赤壁家」の神津猛は、独 力で『信濃考古学会雑誌』を出し、島崎藤村、田山花袋、高浜虚子などと交わ り、援助した人、神津藤平は六十三国立銀行の経営に参画、長野電鉄を創設し て、観光地志賀高原を開発した。 志賀高原の「志賀」は、一族の志賀村から 来ている。