「日記」の空白を読む ― 2008/01/07 07:49
友達というものは、鋭いものである。 年賀状の中に、「<等々力短信><小 人閑居日記>いつも楽しみです。ですけれど、他人には見せない心の内の日記 は、もう一つ何か書いているのですか」というのがあった。 この一言が、け っこう応えて、ひっかかっている。 昔、数を書いている内に、正体があらわ れて、「男のストリップになる」と書いたことがある。 なかなか、そうもいか ないものか。 もっとも、ブログに書けないことは、たしかにある。
萩原延壽さんの「評伝」についての講演で、杉山伸也さんは、資料を「読み 解く」「読みこなす」ことについて、「日記」の場合、記述していない、空白の 部分を読まねばならない、と言った(アーネスト・サトウの場合、手紙が破棄 されたらしいこと、日記に「O・K・」と書かれた日本女性の問題があった。→ <等々力短信 第432号>)。 萩原さんは「読み取り、読み抜き、読み破る」 と言い、資料を読んで、ずっと考え、背景に思いを馳せる、資料を熟成させて いく、姿勢を貫いていたそうだ。
ノーテンキな私の場合、そんな深いものはないので、ご安心の上、「読み飛ば して」ください。 ハハハ。
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