伊集院郷苗代川について2008/01/12 08:01

 大河ドラマ『篤姫』の第一回を見て、8日、最初に「物語は、天保6(1835) 年6月、本家嫡男・島津斉彬(高橋英樹)が分家の一つ、伊集院郷苗代川の今 和泉島津家(当主島津忠剛(長塚京三))にやってくるところから始まった」と 書いた。 その前の場面、今和泉島津家の奥方(樋口可南子)が於一を身籠っ ている話は、どうも指宿の別邸らしかった。 伊集院郷苗代川にも屋敷があっ たのか、疑問に思っていた。

 これもウィキペディアで「苗代川」に、延宝8(1675)年、当時の藩主島津 光久(幕末の久光ではない)によって参勤交代の御仮屋(本陣の役割を果す薩 摩藩主の別邸)がこの地に移された、とあった。 これではないか、と考えた。  宮尾登美子さんの原作『天璋院篤姫』を見れば、判るかもしれない。 ドラマ では、この時が江戸に住んでいた島津斉彬の初めてのお国入りで、その到着を 近隣の有力な重臣が、「苗代川」の参勤交代の御仮屋に出迎えたとすれば、辻褄 は合う。

 メールモードの伊集院君からメールが来て、伊集院家も紋章は「○に十の字」 の島津家の紋を使っており、島津と伊集院のかかわりについては、下記の「伊 集院町商工会青年部のホームページ」にある、と教えてくれた。 http://www.ijyuin.com/

 そこの「伊集院の歴史」をちょっと覗くと、日本歴史上の有名どころの人物 が沢山出てきて、島津家の薩摩は、もしかしたら伊集院家の薩摩であったかも しれないと思えるような、たいへんな名家だということがわかった。

 大河ドラマたった一回で、5回も書いている内に、明日は次の回になる。