第173回福澤先生誕生記念会2008/01/13 07:30

 1月10日は、2008-1835=173、「第173回福澤先生誕生記念会」があって 三田に行く。 例年どおり幼稚舎生の「福澤諭吉ここに在り」とワグネル・ソ サィエティー(男声)の「日本の誇」の合唱を気持ちよく聴き、安西塾長の年 頭挨拶となる。 塾の現状と創立150周年事業の、事務的で詳細な報告だから、 例によって長くなる。 以前はもっと格調高いものだったような気がするのだ が…。 産経新聞会長・清原武彦さんの記念講演「言論人・福澤諭吉に学ぶも の」の方が、格調高かった。

 清原さんは、塾創立100年の昭和33年の法学部入学から、50年が経つ、と 言う。 創立150年を迎えて、慶應義塾は、日本とアジアに、真の民主社会を もたらすための先導の役割を、社中一致で果していかなければならない。 日 本の内外に問題が山積する今、もし福沢ありせば、どう言うか、と誰もが思う。  多面体の巨人であった福沢は、その三大事業の一つである『時事新報』の経営 者、論説主幹として、国のあり方に明確な指針を示した。 福沢の『時事新報』 は、「国権の利害を標準に定めて審判を下す」(発兌之趣旨)とした、その論説 への信頼によって、量よりも質で日本一といわれた。 清原さんは、今日の問 題を考えるために、福沢の論説から二つを選んだ。 明治23(1890)年8月 27日から全5回で連載された「尚商立国論」と、西南戦争で死んだ西郷隆盛の 立場を弁護した「明治十年 丁丑(ていちゅう)公論」(発表は24年後の明治34 年)である。 二つの論の内容は、また明日。