真理の唯一性と真理に至る道の複数性2008/01/26 07:54

 大佛次郎論壇賞受賞のインタビュー(朝日新聞2005年12月14日朝刊)で、 中島岳志さんは、こんなことを語っていた。 今、日本で「東アジア共同体」 の議論が盛んなことについて、「インド外交に熱心な政治家もいるが、中国を牽 制するためにインドとつながる、という発想は非常に危険。戦前の轍を踏まな いためにも、戦前のアジア主義にどういう可能性があり、どこが危ないのかを 学ぶ必要がある」

 同日夕刊の「受賞に寄せて」では、アジア主義の意味を考究し続けた思想家・ 竹内好が、「「大東亜」戦争という悲劇を反省的にとらえた上で、「空間としての アジア」を越えたアジア的価値によって全人類を包みなおす「方法としてのア ジア」を説いた」と書き、近年、注目を集めている「東アジア共同体」論や「東 北アジア共同の家」論は、「おおむね安全保障と経済の問題に限定されており、 その構想を下支えする思想的側面が決定的に欠落している」「「アジアとは何か」 という問いが希薄化している」という。 そこで大事なのは、「アジアの歴史的・ 伝統的思考様式に根ざしつつ、空間としてのアジアを越えた「アジア的」普遍 思想のあり方を追求することだ。老子や荘子、イブン・アラビー、西田幾多郎、 鈴木大拙、ガンディーなどの思想は、真理の唯一性と真理に至る道の複数性を 強調し、「否定を通じた肯定」を説く点で「アジア的」普遍思想を共有している」 とし、「21世紀に突入した今日、具体的な政治的・経済的構想を基礎付けつつ、 その利害関係に吸収されない「思想としてのアジア主義」を、新しい時代の可 能性として追及する必要があるのではないだろうか」と、書いている。