「一つのアジア」は西洋近代を超克できるか2008/01/27 07:36

 「等々力短信」第983号「東京裁判のパール判事」の最後に、「中島さんは、 パール判決を右と左の硬直化した二分法で読むのは駄目、トータルな目で見る 必要がある、と語った」と書いた。 朝日新聞のインタビューでも、政治学者 の橋川文三や、竹内好が、分かりやすい言葉を求められる場では、右翼だ、と 切り捨てられてきたが、簡単に色分けすべきではないとして、自らを西田幾多 郎ら京都学派の哲学に依拠すると位置づける。 そして「近代の超克は可能か、 という問いを捨ててはいけない。西洋近代が生んだものに、アジアの側から基 礎づけを与えていきたい」と、語っている。

 たまたま、1月21日の朝日新聞朝刊「私の視点」に、筑波大学名誉教授で国 際アジア共同学会代表の進藤榮一さんの寄稿があった。 見出しは「東アジア 共同体 岡倉天心てがかりに」。 「アジアには、共通の利益と文化があって、 欧米とは違う。しかし近代以降アジアは欧米に踏み敷かれ、分断のくびきにつ ながれてきた。それゆえ、アジアがアジアを取り戻すためには、従属のくびき を断って欧米のつくる「近代」を乗り越えなくてはならない。」 「「アジアは 一つである」(岡倉天心『東洋の理想』)という共通概念。「ヨーロッパから自立 すべきだ」という対抗概念。そして「ともに実現すべき共通のプロジェクトが ある」という運動概念としてのアジアだ。/そのアジアを、21世紀情報革命下 のグローバル化が作り始めている。」