夢枕獏『宿神』の西行2008/03/13 07:55

 西行といわれて、知っていることといえば、佐藤義清(のりきよ)という北 面の武士だったのが、23歳で突然出家して、全国を放浪して歩き、「願はくは 花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」と詠んで、その望みどおりに 死んだ、というようなことだけだった。

 閑居して、新聞小説をよく読むようになった。 丁寧に読む、といったらい いか。 仕事をしているときは、読んでいるようでいて、なかなかきちんとは 読めないものなのだ。 夢枕獏さんが、2006(平成18)年12月22日から2008 (平成20)年1月19日まで383回にわたって、朝日新聞朝刊に連載した『宿 神(しゅくじん)』を面白く読んだ。

 夢枕獏さんは『宿神』で、西行の生涯を描いたわけだが、知らなかったこと がいくつも出て来た。 一つ目は、平清盛との関係である。 佐藤義清と平清 盛は同い歳、北面の武士の首領は清盛の父忠盛だ。 『宿神』で義清と清盛は 親しい友であり、義清が西行となってからも交流はつづく。 それと関連する が、二つ目は、出家した西行が、(少なくても数年は)放浪、隠遁したわけでな く、都のまわりにいて、それまでに付き合いのあった人々をふくめ、身分の高 い貴族や武士、その人たちに仕える女房たちと、頻繁に交流していたことであ る。 三つ目は、待賢門院璋子(たまこ)との関係である。 西行が出家した のは、「申すも恐れある」高貴の女性への悲恋の末だという説が有力だといわれ ている。 『宿神』は、西行最晩年の驚愕の奇行まで描いて、それを永遠の思 慕にまで昇華した。