待賢門院璋子のこと2008/03/15 08:02

 西行を描いた小説『宿神』を語るとき、待賢門院璋子(たまこ)という女性 のことを書かない訳にはいかない。 夢枕獏さんは、巻の六を「奇怪の姫」と 題した。 関白藤原忠実(ただざね)の日記「殿歴(でんれき)」は、その入内 に関し「件の女御、奇怪の人か」と記している。 璋子は権大納言藤原公実(き んざね)の末子に生れ、生れてすぐの頃から白河法皇の寵妃、祗園女御の養女 となり、院の御所で甘やかされて育つ。 音楽の師藤原季通や権律師増賢の童 子などとの恋の噂があった。 白河法皇は、幼い時から溺愛し、情事の相手で もあった十七歳の璋子を、こともあろうに、血の繋がった、自分の実の孫であ る鳥羽天皇に嫁がせてしまった。 その上、璋子の産んだ顕仁皇子(崇徳天皇) は、白河法皇の子と考えて間違いがない、といわれている。 『宿神』でも、 清盛は崇徳天皇を「叔父子(おじご)の帝(みかど)」と呼んで、義清に「人前 で言う言葉ではない」と、たしなめられる。

 奔放にして優雅、非常に魅力的な女性であったという待賢門院璋子は、院政 時代を象徴する代表的な存在で、数奇な運命をたどる。 崇徳天皇と後白河天 皇を産み、待賢門院の死後、ふたりの帝が争う保元の乱が起った。

 夢枕獏さんの『宿神』で、密かに佐藤義清を呼び寄せた璋子は「あれが見え る者に」「ようやっと会うことができた」「あれはな……」「人の心を「口炎」(く ら)うのじゃ……」と言う。 そして亡き白河法皇も、あれが見えたと語るの だ。