「きいちゃん、満州へ来ないか」 ― 2008/03/25 06:36
希以子は、養家の姉・美佐緒が後妻になった西条の息子市太郎と恋仲になる。 市太郎は二人で満州の新天地へ行こうと希以子に求婚する。 美佐緒は、血の 繋がりはないものの、妹が姉の息子と結婚するなんて、どこの世界にあると反 発し、西条の世話になっている希以子の父も反対する。 市太郎はひとり満州 に立ち、希以子はやけになって芸者見習いに出て、住み込んだ家の姐さんの旦 那に犯される。 口入れ屋の父が連れて来た表面は温和ないい男との間に、子 どもができて結婚したが、実は薄情な乱暴者だった。 二人の男の子を産んで 離婚することになる。 父が死に、銀座のカフェで働き始めた希以子のところ に、満州で成功したという市太郎が迎えに来る。 あれから9年、ずっと恋焦 がれてきた初恋の人は、独り身だという。 希以子は市太郎のおいていった金 で、上の子を父の再婚相手に預け、乳飲み子を連れて満州へ、蒙古との国境に 近い烏丹(うたん)城へと向う。
そこからの物語に出てくる地名のいくつかに憶えがあった。 昨年の秋、例 の関口知宏の中国鉄道大紀行で見たのだった。 奉天から10時間の汽車の旅 で、赤峰に着く。 烏丹城はそこから20里だ。 関口知宏は赤峰に泊まった。 烏丹城での2か月の蜜月の後、市太郎が投獄されてしまう所が承徳、希以子は 承徳ホテルで働くことになる。 関口知宏の番組では承徳の下板城という所に ある世界遺産、避暑山荘の池に舟を浮かべて、中国楽器を生演奏する中継があ った。 赤峰と承徳の間にある葉柏寿も、鉄道の乗り継ぎ地点として小説に出 てくる。 テレビではこの町、「化石の町」として紹介されていた。
『永日小品』を味わう<等々力短信 第985号 2008.3.25.> ― 2008/03/25 06:38
「永日」は「日永」ともいい、歳時記には「春分から少しずつ日が伸び始め る。日中ゆとりもでき、心持ちものびやかになる」とある。 ちょうど、これ からの感じだ。
11月に「文豪・夏目漱石」展を書いてすぐ、芳賀徹さんが論文の抜刷を送っ てくださった。 「夏目漱石の美しい小島―『永日小品』の一篇「昔」を読む」 (2007年9月京都造形芸術大学紀要〔GENESIS〕第11号)である。 『永日小 品』を指して「美しい小島」とは、いかにも芳賀さんらしい。 初めに「永き 日」の説明があり、漱石自身の「松山客中虚子に別れて」と詞書のある句<永 き日や欠伸うつして別れ行く>(明治29年)も引かれている。 『永日小品』と 題した漱石の念頭には、<遅き日のつもりて遠きむかしかな>と詠んだ「ゆく 春の詩人」与謝蕪村があり、茫としていつまでも暮れぬ春の日のアンニュイの うちに、よみがえってくる「遠きむかし」のさまざまな映像、なつかしい人々 の声やすがた、眼の前にある明治の社会のかすかな陰翳、もの憂いままにのぞ きこむ自分の心の奥のあやしい風景などを、文章に綴った、と芳賀さんはいう。
「昔」という一篇は、漱石が英国留学の終りに近い明治35(1902)年10月、 スコットランドはハイランドの保養地ピトロクリを訪ね、日本びいきのジョ ン・ヘンリー・ディクソンの館に滞在した旅の回想である。 ごく短く、全文 で1,600字ほどしかない。 「美しい小島」の中でも「際立って美しい」とす るこの小品を、芳賀さんは、高適や陶淵明の詩、蕪村や虚子の句を引き、久隅 守景、渡辺崋山、小川芋銭、はたまたラファエル前派など英国世紀末画家の絵 画まで動員して、華麗に読み解いていく。
漱石展を前にピトロクリを訪ねた朝日新聞の牧村健一郎記者は、顔を顰める エディンバラの駅員にPITLOCHRYの綴りを見せて、「ペットロッホリー」と 「ペ」をつばを吐くように強調する発音を、その駅員としばらく練習してから、 ホームに向ったそうだ。
漱石のピトロクリの谷は、秋の眞下にあった。 山の背の雲は「いつ見ても 古い雲の心地がする」。 漱石の漢詩に「人間 固(も)と無事(むじ)」とある、悠 悠たる雲の往来、東洋古来の美学にこそ近づく秋の日の小世界だった。 だが 17世紀末、この谷の川を血で染める高地人と低地人の合戦があった。 有為転 変が「静かな谷」の住民たちを鍛えて「世に熟れた顔」の悠然たる暮しぶりに した、と芳賀さんは読む。 味わいつくすように丁寧に読み込む、達人の至福 の読書法に、多くを教えられた。
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