明治の「年賀欠礼」新聞広告2008/04/23 07:59

 いささか旧聞になったが3月29日、福澤諭吉協会の土曜セミナーで、西川 俊作先生の「時事新報の人びと」という話を聴いてきた。 その中で面白かっ たのは、時事新報の社員数を推計するのに、時事新報に掲載された社員連名の 年賀欠礼広告を使った話だった。 明治23(1890)年以降、40年までのそれ を確認して、データベース化したのだそうだ。 その分析手法も面白いし、広 告の内容も面白い。 近年、年賀欠礼というと「喪中に付」という葉書が一般 化したが、明治23年1月2日付時事新報の全一面(最終面かと思われる)に 掲載された年賀欠礼広告には、実にいろいろな欠礼理由がある。 年賀、つま り訪問して挨拶を交す、それができないということらしい。

 時事新報社員連名のは、編輯局が「辱知諸君 生等時事新報の編輯に従事し 歳末年始の昨今に際しては殊に繁忙を極め…」、ただの社員が「私共年中休日無 き職務に付年末年始の禮を缼く」というものだ。 いろは順で、編輯局には石 河幹明、岡本貞烋、福澤一太郎ら17名、ただの社員は7名が名を連ねている。  ほかの欠礼理由には、伯爵伊藤博文家扶「主人儀旅行中に付」、谷干城や九鬼 隆義が「旅行中」、黒田長成「摂州有馬温泉…二週間為入浴」、高崎正風「相州 海濱に養痾」、神田孝平「所労に付」(当時、患っていたらしい)などというの がある。