巴水の東京、その震災前後 ― 2008/04/11 06:32
江戸東京博物館の川瀬巴水展は「東京風景版画」と題されたこともあって、 東京の風景が対象である。 1923(大正12)年の関東大震災を境にして、東京は 大きく変貌したと聞いている。 学生時代に、塾長を務めた奥井復太郎教授の 「都市社会学」を聴いたが、震災前後の東京の変化にしぼった講義だった。 巴 水には、震災前の「東京十二題」1920(大正9)年、「東京十二ヶ月」1921(大正 10)年、震災後の「東京二十景」1925(大正14)年~1930(昭和5)年?というシリ ーズがある。 巴水は震災で、それまで描きためたスケッチや下絵を失ったの だそうだ。 芳賀徹さん編『絵のなかの東京』は、もっぱら震災前の巴水の版 画を、図版で紹介している。 でも、震災後の「東京二十景」のいくつかを見 る限り、それほど大きな変化は描かれていない。 震災後も、巴水の中の東京 は、美しい江戸以来の東京であり、そうした姿をあえて求めて描いたのかもし れない。
桜、雪、雨、夜(月)の景色が、圧倒的に多い。 こんなにも雪が降ってい たのか、と思うほどだが、考えてみれば、私の子供の頃でも今よりは多かった 記憶がある。 桜は、「春のあたご山」(「東京十二題」)、「芝公園の春雨」(「東 京十二ヶ月」)、「上野清水堂」(「東京二十景」)。 雪は、雪中に着物の女性が和 傘を差す有名な「芝増上寺」、「千束池」(「東京二十景」)、「増上寺の雪」は戦後 の1953(昭和28)年にもある。 月は、「大森海岸」、「馬込の月」(「東京二十 景」)。 このほかにも、麻布二の橋、泉岳寺、池上市の倉、池上本門寺、矢口 などという、身近な場所の作品がある。 川瀬巴水が馬込(現在の大田区、私 の育った中延に近い)に住んでいたからだということが、この展覧会で初めて わかった。
(小さい絵ですが、渡邊木版美術画舗の下記HPで巴水の木版画が見られます。)
木版画の制作工程 ― 2008/04/12 07:08
今回の川瀬巴水展では、二つの方法で、版画制作の過程を紹介していた。 一つは、巴水の描いた水彩の原画と、試摺、完成作品を並べての展示である。 完成作品は、原画とは、色の感じや景色が微妙に異なっているものがある。 た とえば、明るいものが夜景になったり、雨の線が加えられたり、原画では描か れていた人物が消えたりしている。 彫師や摺師との協同作業といっても、そ こには絵師・川瀬巴水の考えが色濃く反映されているのだろう。 あるいは版 元の意向のようなものも入ったのかもしれない。
もう一つは、巴水晩年に撮影された『版画に生きる』という映画のビデオが 公開されていた。 1956(昭和31)年の「法隆寺西里」の制作過程を、斑鳩 の里でのスケッチから、版下制作、彫師の版木彫刻、摺師による完成までを、 渡邊木版美術画舗の二代目店主渡邊規氏が撮影、42分の作品にまとめたものだ。 巴水の描いた原画の線を、彫師(前田)が板を動かさず、右手の小刀の切り回 しだけで彫っていく。 丸鑿(のみ)、角鑿と進み、10~14日で凸版の墨板が 完成する。 墨摺で校合摺(きょうごうずり)を10数枚摺り、色板をつくる ために巴水が朱で色出し(色別の個所指定)をする。 10枚ほどの色板の完成 に、また10~14日かかる。 そして摺師の作業となる。 馬連の手づくりか ら紹介していたが、その随所に力のいる、しかも微妙な熟練の技が必要なこと がわかった。
「囀」と「朝寝」の句会 ― 2008/04/13 04:45
10日は「夏潮」渋谷句会、生憎の雨となった。 季題は「囀(さえずり)」 と「朝寝」。 結果からみて、出そうか出すまいか迷ったのだが、「失敗の記録」 は大切だ。 つぎの七句を投句した。
猫の恋果てて囀聞こへ来る
囀の百花讃へる今朝となり
囀や土曜朝刊ずしりとす
囀のカチョフーエイと聞こへけり
朝寝して寝小便する夢を見し
朝寝する父の布団にもぐり込む
朝寝中得しわが名句忘れけり
ちょっと川柳っぽいかな、とは思っていたのだ。 特に「カチョフーエイ」 「わが名句」などは…。 結果はさんざんで、<朝寝する父の布団にもぐり込 む>を、和子さんとけん詞さんが採ってくれただけだった。 選句数が多いの で、いつもは救われる主宰の選もゼロだった。
江國滋さんは言っていた。 「俳句の三本柱は、たしなみと、つつしみと、 はばかりである」、大切なのは「ほどのよさ」と「さりげなさ」、そして「作品 の中では絶対にふざけてはいけない」と。
「囀」と「朝寝」の選句 ― 2008/04/14 06:30
「囀」と「朝寝」の句会で、私が選句したのは、つぎの七句だった。
囀の小気味よき朝迎へけり 芳三郎
囀に遠く答ふる一羽をり 和子
囀や樹々の膨らむ雨あがり 秋
晩年の始まってゐる朝寝かな 英
好日や朝寝をもって始まれる 華
つつがなく里帰りして大朝寝 華
またもとの二人となりし朝寝かな なな
英主宰も選句され、人気のあった句には、つぎのような句があった。
梢(うれ)高く囀りやまぬ一羽かな 和子
囀やホテルの庭は湖つづき なな
囀に重ねて法鼓響きけり 梓渕
囀るは賢治の森や声々に 明弘
朝寝して朝餉は抜きといたしけり 秋
心地よきリネンのシーツ朝寝かな 美保
山荘の散策組と朝寝組 ひろし
私は「囀」で沢山の鳥を考えていたが、主宰の選評で、一羽がしきりに鳴く のも「囀」だということがわかった。 <囀やホテルの庭は湖つづき>のよう な、表現に技巧をこらすのではなく、いかにも気持よい景色を詠むのも俳句の 一つのいきかただということも。
季題研究、「囀」と「朝寝」 ― 2008/04/15 07:11
「囀(さえずり)」の季題研究は、ひろしさんの担当だった。 あらためて「囀」 の説明を聞くと、漠然としか考えていなかったことが判明して、勉強になった。 「囀」は、「春から夏にかけての繁殖期に聞かれる、鳥類の歌うような鳴き声」 のことで、一年を通して聞かれる声は「地鳴き(じなき)」と呼んで区別する。 「囀」では多くの場合、オスが縄張りの所有を主張したり、メスをひきつける ためによく通る声でしきりに鳴く。 「囀」には二つの形式がある。 テリト リー・ソング(縄張りの歌)と、コートシップ・ソング(求愛の歌)だ。 テ リトリー・ソングは、単調な歌を大声で繰り返すものだが、声を聞いただけで 鳥の種類がわかるほど、種によってことなっている。 コートシップ・ソング は、複雑な歌を小声で美しく歌う(そのため「小囀(こさえずり)」ともいう)。
「朝寝」は、ななさんの担当。 いくつかの歳時記とともに、「眠りの科学」 にも言及して説明してくれた。 四季を通じて一番寝心地の快いのが春、孟浩 然(もうこうねん)の『春暁』「春眠暁を覚えず」という有名な詩がある。 「春 眠」と「朝寝」は季題としては別で、「春眠」によって十分に寝足りても、なお 寝床を離れにくく、布団の中で春の気分や情緒を楽しんでいるのが「朝寝」と いうことになる。 ただ「眠りの科学」からいうと、眠りは日照時間と関係し、 脳内の松果体から出るホルモンの影響で、秋から冬にかけて長く、春から夏に かけて短くなるのだそうだが…。
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