御田(みた)小学校のこと2008/05/17 08:00

 父に見せたら、どんなに喜ぶかと思われるものが「小泉信三展」にあった。  父は芝で育ち、今もある御田(みた)小学校に通った。 小泉信三さんが、こ の学校の23年先輩に当る。

 小泉信三さんは、父信吉(のぶきち)の死で横浜から三田に転居したので、 7歳で横浜学校から三田台町の東京市立御田小学校に転校した。 慶應義塾幼 稚舎に入らなかったのは、贅沢を避ける母千賀の意向もあったらしい。 展覧 会には、御田小学校時代の写真、校舎の写真、小学校時代の雑記帳などが展示 されていた。 父に見せたいと思ったのは、その説明である。

 御田小学校の「同級生に生涯の友となる阿部章蔵(水上瀧太郎)、海軍中将と なった原(坪井)顕三郎、横浜正金銀行頭取園田孝吉の子、農商務省官吏前田 正名の子などがおり、一級上には文人として知られる吉井勇がいた」  「信三が通った御田小学校は「三田の学習院」と呼ばれ、軍人や官吏、実業 家の子弟などが多く通う学校であった。華頂宮邸内にあった同校は、明治31 年現在地に木造校舎を新築して移転。玄関に掲げられている「御田学校」の扁 額は、三条実美の書で、今も校舎内に掲げられている」

 父は今、御田小学校の隣にある寺の墓に眠っている。 今度行ったら報告す るけれど、直接話が出来ないのが、なんとも残念だ。