イエメン・サヌアと中国・開平の摩天楼2008/05/24 07:14

似たようなものを二つ結びつけると、一つの話になる。 「探検ロマン世界 遺産」、5月17日の「イエメン・サヌア」を見ていて、しばらく前4月26日 の「開平の「石周」楼(ちょうろう)」を思い出した。

イエメンのサヌア旧市街は摩天楼都市だ。 ペンシル型というのか、6階か ら高いのは10階まである細長い建物がびっしり建っている。 上のほうは煉 瓦積み(?)を白漆喰で固め、それが装飾にもなっている。 丈高い石造の1、 2階は、窓もドアも小さく、昔は家畜を飼ったり、穀物の貯蔵庫になっていた そうだ。 サヌアは「幸福のアラビア」と呼ばれ、世界に冠たる交易都市だっ た。 シバ王朝時代から乳香(多神教の儀式の必需品)の産地として栄え、一 神教の時代になるとコーヒー(モカ・マタリのモカはイエメンの港)発祥の地 として主要取扱商品を転換し繁栄を続けた。 その財産を守るための知恵が、 防御を考えた高層建築だったのである。

開平の「石周」楼というのは、中国広東省珠江のデルタにある。 写真を見 た方も多いだろう。 30キロ四方の村々の、田んぼの中に1,832棟、最も高い もので9階建の不思議な高層建築がニョキニョキ建っている。 多くは鉄筋コ ンクリート造、イスラムのモスク風や中世ヨーロッパの古城風、頭でっかちの ものなど、いろいろな装飾がある。 建てられたのは20世紀初め、清王朝が 倒れた混乱期だそうだ。 列強の攻勢や内乱で暮しが悪化、多くの人がアメリ カなどに出稼ぎに行き、成功する人も出た。 派手な装飾は、故郷に錦を飾る 意味と、渡航先の記憶もあるという。 珠江デルタはもともと洪水の多い土地 で、その避難所の意味もあったが、一番の目的は匪賊から村や財産を守る自衛 のためだった、というのだ。

もしかしたら、交易で出かけた中国商人がイエメンのサヌアの高層建築を見 て来たのが、発端だったかもしれない。 これぞロマンである。