さん喬の新作「干しガキ」前半2008/05/06 08:18

 トリの柳家さん喬は、新作落語の封切という「干しガキ」。 作者の黒田絵美 子さんという人を知らない。 翻訳家・劇作家だそうだ。 黒田さんは、さん 喬のために、「おしゃべり往生」「月見穴」「こわいろや」など十数本を、すでに 書き下ろしているという。

 三月も寝たままで働きに出ない八五郎、女房はもう質屋に入れるものもない、 取ってくれたらお前さんを質に入れて、流す、と言う。 久しぶりに起きた八 五郎、それだけしか残っていなかった、おかみさんが長屋の井戸のところで育 てたヘチマの干したのを一本、売れるだろ、ダメで元々と、持って出る。 八 王子の町、諸国名産乾物・干し屋乾兵衛の看板。 ヘチマを買ってくれるかと 聞くと、値踏みは大番頭がするからと、待たされる。 醤油問屋の稲毛屋のご 隠居が来て、孫娘が可愛がっていた三毛猫が姿をくらました。 今朝方、井戸 に落ちて死んでいるのを見つけたが、孫娘には話せない、猫の干したのはない だろうか、という。 三毛の、特上の干し猫がある。 タライにぬるいお湯を 入れて(猫舌というから)、ゆっくり戻すと、九つあたりに生まれ変わる、と。  ご隠居は、二両を、安い、安い、と買い、干し猫を大事に懐に入れて帰る。

 干し屋乾兵衛の店には、干し猫のほか、干し犬、干し狐、少々難あり「干し ガキ」二十文なんてのも売っている。 「干しガキ」は、お子さんのない方が 買っていらっしゃる、という。 ヘチマは、初回だから、またよろしくと、二 十文で買ってくれた。 ウチは子供がいねえんでと、八五郎はその二十文で、 少々難あり「干しガキ」を買う。 男と女があり、女は箱に入っていて、箱入 り娘だというが、男の子を選ぶ。 戻し方の秘訣は、タライにお湯、人肌とい う程のよい湯加減で、おかみさんが一晩中ついていなければならない、と。

「干しガキ」の大団円2008/05/07 07:07

 おかみさんが一晩中つきっきりで、オギャーと生まれた男の子、少々難あり で胸に穴が開いてはいたが、子の無かった夫婦は、目元はお前、口元は俺に似 ていないか、と大喜び、新太郎と名付けて、大切に育てた。 15年が経ち(あ っという間に)、八五郎も一生懸命働いたので、材木屋の店を持っていた。 新 太郎は、父親に言われて相模屋に板を二枚届けに行く。 八五郎は、途中の煙 草屋の前で、いつものように大きな声で、「おばさん、こんにちは」って言うん じゃない、と言う。 昨夜、死んだんだ、そっとしとけ、それが情だ。 新太 郎は「人が死ぬと悲しいか、一度死んでみてくれねえかな」などと言う。 (新 太郎、まっすぐに育っているが、どこか少々難ありなのだった)。 相模屋の店 先でごちゃごちゃもめていたのを、娘のお美代が助けてくれた。 かなは読め るけれど、書けないという新太郎に、お美代が習字を教えてくれることになる。  熱心に通う新太郎、相模屋の主は心配して、跡取のお美代に必要なのは友達で なく、婿だと、新太郎を家に上げるな、ということになる。

 お美代は食事もとらず、庭を見て泣くばかり、医者に長いことはないと言わ れて、相模屋は新太郎を家に上げることにする。 「許しておくれ」「許すって 何です、腐っちゃったの」 お美代が泣き通しと聞いて、新太郎は「おなかが 空いてんだ、何か食べな」と言う。 お美代が笑った。

 新太郎の損得のない看護で、お美代は外出できるまで元気になった。 桜や 菜の花のきれいな土手、お美代のところに向こう岸から泳いできてしまった新 太郎に「新ちゃん、私、好き」、「おいらも、好き」と言いかけて「アーア、痛 い」と胸を押さえる、穴がふさがっていた。 「おいら、美代ちゃんが、好き」 「着物を乾かさないと」「二度と干されたくない」

 落語っぽいところもある、この不可思議な新作を、さん喬は見事に語ったの であった。 私が二日にわたって梗概(名前の表記などは独断)を記したのは、 その何よりの証拠である。

2008年の巨人軍2008/05/08 07:08

 新潮社のPR誌『波』5月号で、南伸坊さんが「いきなりおもしろい」と、 ねじめ正一さんの『落合博満 変人の研究』(新潮社)を紹介していた。 読ま ずにはいられなくなる見事な書評だ。 それにねじめ正一さんは、詩人北村太 郎を描いた『荒地の恋』を読んで感心したばかりで、方向は違うが、間違いな いだろうと思ったのである。

 毎日、巨人戦を見ている。 最近は、放送されない日もあるけれど…。 考 えてみれば、(球場でもいくらかは観ているが)テレビ放送が始まってから、ず っと巨人戦を見ているわけで、それは50年を超す。 ボーッと見ていたにせ よ、他の何よりも時間をかけてきた。 ねじめさんは、江夏豊と同じ昭和23 (1948)年の生れ、それは私が小学校に入った年だ。 経験に重なるところが ある。

 そこで『落合博満 変人の研究』を、まず「2008年の巨人について」から始 めよう。 鼎談で高橋春男さんが「ラミレスやクルーンやら(セス・)グライ シンガーを揃えたとんでもない戦力の巨人と中日の戦いに、すごく興味あるよ ね」というと、ねじめさんは「中日を盛り上げるために巨人がいるという感じ になる可能性がある」と、現状をピタリと当てている。 冨士眞奈美さん「ス ポーツ記者の匿名座談会などでは、落合は原に勝つというもっぱらの評判ね」  ねじめさん「やっぱりFAで戦力を集めていいのは、長嶋さんだけでしょう。 で、みんなで遊んで。原がコーチの時、長嶋さんに「監督、こんなにいっぱい 集めちゃっていいんですか」と聞いたら、「いいじゃない、楽しくて。どうして 楽しまないの」」

 このように『落合博満 変人の研究』は、面白いのである。

「落合や」「八回退部」自由人2008/05/09 07:06

 『落合博満 変人の研究』冒頭の「落合伝説」に、生来、封建的な体育会系の 上下関係になじめず、秋田工業野球部を「八回入部八回退部」、退部届を書かず に休部状態で、好きな映画を見ていて、試合が近づくと呼び戻され、たった一 週間の練習で、四番を打ち、本塁打を量産した。 暴力が好きではない。 野 球部セレクションに合格して入った東洋大学も三か月で合宿所を飛び出して退 学。 高校・大学においては、本格的な野球を経験していないに等しい、とあ る。

 ねじめ正一さんが、落合についての対談相手の一人に選んだ赤瀬川原平さん は「自由生活者」と落合のイメージがぴったり重なってくる、という。 共同 体を出て、味方なしに生きていくことを選択している。 野球はアメリカの発 明なのに、相撲と共通することが実に多い。 なによりバッターとピッチャー の一対一の関係が基本である(同じ話が2月にこの日記に書いたアンドリュ ー・ゴードン『日本人が知らない松坂メジャー革命』にあった)。 アメリカ生 れのスポーツだから民主主義で、すべての選手に打順が平等にめぐってきて、 守備と攻撃の機会も平等に入れ替る。 パスをする、パスをしがちな(日本代 表の)サッカーなどと違って、野球の場合はみんな一人、打席に入った時の孤 独、落合が子供のときから野球が好きで、野球だけをコアにしてゆくのには、 それがあったのではないか、と。

 冨士眞奈美さんも、信子夫人が、夫婦お互い、ちゃんと独立した個だと考え ている、俳句の切れ字じゃないけどと、主語として独立させている、「落合や」 と切れ字になっている、と話している。

長嶋「野球」の継承者2008/05/10 06:33

 落合博満は熱狂的な長嶋茂雄ファンで、20歳の落合は1974年10月14日の 引退試合には後楽園球場へ行き、「長嶋とともに日本のプロ野球が終わってしま うのではないか」と本気で思いつめたほどだという。 長嶋が二度目の巨人軍 監督に就任すると、FAで中日から巨人に移籍、二度の優勝に大きく貢献した。  130試合目にリーグ優勝を賭けた1994年の10・8巨人中日決戦で、ホームラ ンとタイムリーを放ち、内転筋を痛め中畑清コーチに背負われて退場、長嶋監 督の胴上げに熱い涙を流し「男落合」となった。

 ねじめ正一さんは、落合を自分と同じ「長嶋主義者」と見ているが、豊田泰 光さんは、違う意見だ。 落合が選手時代の長嶋は尊敬していただろうが、監 督と選手の関係になって、それがガタガタになった、いい反面教師になってい るはずで、謙虚になって、人の心がよくわかるようになり、日本一になった、 と見る。

 でも、ねじめ正一さんは「長嶋者」だから、落合監督を長嶋野球の継承者だ と思い込んでいる。 長嶋さんと落合監督の魅力は、野村克也や星野仙一のよ うなただの指揮官でなく、野球に忙しくて、野球の本質にしか興味がないとこ ろにある、という。 この本では野村と星野はボロクソ(ここに書くのを憚る ほど)だけれど、どこかわかるような気がする。

ねじめさんは、リトルリーグから甲子園を経てプロ野球に至るエリートコー ス・ピラミッド構造の今の日本野球でない、かつての「草野球」の「打って、 守って、投げて、勝つ」遊びの延長としての野球を、落合の野球だとする。 落 合野球は、日本人の根本にある素朴さ、使い尽くす精神で、手持ちの素材を十 分に生かし切る「日本人の理想野球」だという。