柳家三之助の「片棒」 ― 2008/06/01 07:57
5月29日は第479回TBS落語研究会。 先代の五代目小さんの七回忌も無 事にすんだとかで、この日はずらり小さん一門が並ぶプログラムになった。 三 之助は小三治の弟子、前座名は小ざるといったそうだ。
「片棒」 柳家 三之助
「粗忽の使者」 柳亭 市馬
「花見小僧」 柳家 花緑
仲入
「小言念仏」 柳家 小三治
「猫久」 柳家 小さん
三之助、内股で出る、目がない…ほど細い。 「片棒」は、赤螺屋吝嗇兵衛 (あかにしや・けちべえ)さんが、金銀鉄三人の息子を試すために、自分の葬 式をどう出すか訊ねる噺。 金は、通夜を二晩やり、ご婦人にはお土産を出そ う、料理を三段の重箱に入れ、丹後縮緬のフルシキ(上には壽の字を染めて) に包む。 お車代を二円と聞いて吝嗇兵衛さん、自分が出たいという。 予算 は一人百円と聞き、百円あれば半年遊んで暮せる、あっちへ行けー。
銀は、軽い調子で、破天荒、未曾有、弔いの歴史に残る色っぽい弔いをやろ う、という。 町内に紅白の幕を張り、木遣りの先導で、芸者衆の手古舞、男 髷に右肌ぬぎで、伊勢袴・手甲・脚絆・足袋・わらじ、一つ牡丹の菅笠を背に、 右手に牡丹の花を描いた黒骨の扇、左手に鉄棒(かなぼう)、シャンコン、シャ ンコンと練り歩く。 次が山車で、上にはお父ッつァんの人形、口が乱杭歯で、 ほくろから毛、神田囃子が聖天(しょうでん)から鎌倉に、人形振りで踊って いた人形がガックンとなる。 電線に首がひっかかったのだ。 そのあとに、 お骨の神輿、花火がドーンと上って「アカニシヤー!」、落下傘がヒラヒラ落ち てきたら、位牌が下がっていた。
鉄は、しょうがないから弔いを出す、という。 出棺を10時と知らせてお いて、実のところ8時に出棺。 焼場の都合といえば、料理やお酒を出すこと はない、香典は取りっぱなし。 棺桶も菜漬の樽で、中に詰める破魔っこ(?) も勿体ないから新聞紙を丸めて詰める。 天秤棒で挿し荷いにする。 片棒は 鉄がかつぎ、もう一人は人足を雇わなければならないというと…。 お父ッつ ァんがかついでやるから。
結局、終りまで物語ることになったのは、三之助が上出来で、面白く聴いた からにほかならない。
柳亭市馬の「粗忽の使者」 ― 2008/06/02 07:04
首をひょこひょこ上下させて、柳亭市馬は出て来た。 大相撲を見物してい るのを時々見かける。 肉まんのような丸い顔の、師匠小さんの話をする。 ま ず、しゃべらない人で、こちらからおしゃべりをすると、まずしくじる。 そ そっかしい人だった。 長いこと落語協会の会長をやっていた。 目白に住ん でいて、池袋演芸場は近い。 散歩の途中、どうかすると高座に上がる。 胴 着、作務衣のような恰好のまま、出た。 小噺を二つ、三つやる。 オマケだ から、お客さんには大変喜ばれる。 でも、新宿の末広に出番があるのに、池 袋に出るということも、よくありました。
杉平柾目正(まさめのしょう)という大名が家来で粗忽者の治部田治部右衛 門を、親類の赤井御門守と謀って、戯れの使者に出す。 治部右衛門は、重役・ 田中三太夫と会い、その名乗りを受けて、「それがしは田中三太夫」と言いかけ て「田中三太夫ではござらん、斉藤十郎太、いや斉藤十郎太を甥に持つ…」と いう人物だ。 お使者の口上を忘れて、お詫びに切腹するといい出し、子供の 頃から、ケツをつねってもらうと、忘れたことを思い出すからと、田中三太夫 にケツをつねってもらうという例の大騒ぎ。 市馬は、その一部始終を覗いて いたトメッコという名の職人が、仲間に報告する形で演る。 柔の指南役でも ある三人力の田中三太夫が、じゅんさいみたいな青筋を立ててもダメで、「指先 に力量のある御仁」というのを探す。 トメッコは俺が行くと、くぎ抜き、エ ンマを隠し持って参戦。 火急の場合だ、当家の若侍ということにして、名を 中田留太夫、「おい、おじさん、早くケツ出しな。きたねえケツだな。毛むくじ ゃらで、こおろぎでも飼おうてんじゃねえだろうな。どうだ少しはこたえるか」 「冷たいお手で。もう少々、手荒く」
最近進境著しい市馬、楽しそうに演じて、三之助に続いてヒットでつなぎ、 走者一・二塁のチャンスを作った。
花緑の「花見小僧」 ― 2008/06/03 06:39
柳家花緑は、追善興行のようなプログラムの「遺族その一」だ、と出て来た。 小さんは、自由参加で、好きにやらせたので、弟子が多く38人いた、こうい う師匠も入っていると、談志の斜に構えた手ぶりをした。 ハードルが低くて 気の毒だが、花緑にも弟子が5人いるという。 最初、小さんに相談すると、 教えることは学ぶことだ、といわれた。 お客さんと食事をするような場面が 難しい。 握り寿司を食べるような時、前座がまず二つしかないイクラの軍艦 巻に手を出したりする。 前座とイクラは合わない。 だが、その場では、小 言は言えなかった。 日頃から教えておかなければと思う。 弟子と二人の時 は、どっかゆるい感じがある。 新幹線に乗る前に駅弁を買う。 花緑が深川 めし(穴子の)780円を選んで、弟子に何でも好きなものをというと、あれこ れ迷い、5分ぐらい待たされて、うなぎ弁当1,050円を選んだ。 花緑の中に はモヤモヤするものがあった。 箸をつける段になって、弟子がようやく気付 いて「食べますか」といった。 「一口、食べました」
「親の心、子知らず」というけれど、その反対もある、と、「花見小僧」に入 った。 さる大家の娘おせつが30ぺんも見合いをしてもうんと言わないのは、 店の徳三郎という悪い虫がついているからだと番頭が言うので、主人は小僧の 貞吉を呼んで、去年の3月向島に花見に行った始末を聞き出す。 鎌をかけて、 忘れたといえば、若耄碌には灸が効く、年二度の宿下(やどり)をやめると脅 す。 飴もかまして、話せば月一度の宿下に、小遣いもやろうという。 たい へんな出入り(差)なので、貞吉は、少し思い出します、という。 柳橋へ行 くと、徳どんは二階に上って、結城の着物に、博多の帯に着替えた。 向島に 舟で着いて上るとき、「徳よ、怖いよ」と、あのお転婆が言った。 土手の御茶 屋から、女中の沢山いる奥の植半に上った。 みんなで懐石料理を食べて、お 嬢さんがお酒を飲んで具合が悪くなったのを、徳どんが看病した。 「おせつ、 と呼んでおくれ」。 ここまで聞いた旦那に、貞吉は「このおしゃべり小僧、宿 下は年二度に決まっているんだ」と、言われてしまう。
花緑はまあ、四球を選んで、満塁のチャンスになったといったところか。
小三治の「小言念仏」 ― 2008/06/04 08:05
小三治は、出囃子が進んでも、なかなか出てこなかった。 師匠小さんは、 何かをおしつけることはしない、噺を教わったかといえば、一つも教わってい ない。 盗め、と言った。 ほかの師匠の噺を無断でやっていると、しかられ た。 ドロボウと同じだ、と。 それが、こういう複雑な人間をつくった。 人 間が良くなけりゃあダメというだけだから、みんなノビノビ、和気藹々、罪の ない一門になった。 おっと、たいしたヤツ、いませんね。
車の番号が好きなのを選べるようになって、532番にした。 もっとも、せ んから一門の野球のチームで、背番号は532番だった。 あとから出る小さん は、車に356番をつけてた。 今は853番、8は柳家のヤだという。 訊いた ら、車を買い直したんだそうで、小さんになったために、どこで災難が来るか、 わからない。
師匠の小さんは南無妙法蓮華経で、音色の違う木琴みたいなのをキンコンカ ンコンやる、陽気な宗旨だった。 陰気なのが南無阿弥陀仏、と「小言念仏」 に入る。 扇子で調子を取りながら、ナムアミダブの合いの手に、おばあさん に小言を言う。 仏壇の天井に蜘蛛の巣が張っているに始まって、お花入れと け、線香立てに線香よりマッチの方が多い、おもりものの下げ方が早い、一つ ぐらい俺に取っておけ、子供起して学校へやれ、鉄瓶の湯が滾っている、おい、 ナムアミダブ。 メシが焦げ臭い、お隣です、若夫婦なんだから注意しなきゃ あいけない、赤ん坊が這って来た、連れてけよ、バァー、赤ん坊が何か考えて る、気をつけろ、首まげたまま考えている、あーやっちゃったよ。 鉄瓶の湯 ちょっとたらして、雑巾で拭くんだ、畳の目なりに拭け、そんなことをされた ら信心に身が入らないじゃないか。 おつけの実、何にしましょう?、お芋は 胸が焼けて屁ばかり出る、ドジョウ屋を呼べ、「ドジョウ屋!ドジョウ屋!」。 一合いくらだ、十二銭、高いんじゃないか、二銭まけろ。 ドジョウ屋が向う 向いてる間に、二三匹入れちゃえ、だめだった、惜しいことをした。 そのま ま火にかけろ、鍋のスキマから酒入れろ、あばれ出したら鍋の蓋を押さえろ、 腹出して浮いちゃった、ザマアミロ。
笑った、笑った。 こんな、なんでもない話が可笑しいのは、小三治ならで はのものである。 左中間の真ん中をゴロで抜けていって、満塁の走者を一掃 した三塁打としておこう。
六代目小さんの「猫久」 ― 2008/06/05 06:44
それで、トリは現・小さん。 今日のお客さんは幸せ、時間通り帰れる。 最 近のお客さんは、兄弟子の噺が聴きたいのか、マクラが聴きたいのか、わから ない。 その兄弟子のあとに、出るのだから、「有難い」。 「あの方は」マク ラの本を出している「立派な方」、いつからあんなになっちゃったんでしょう。 子供の頃からお世話になった。 遊び、スキー、オートバイ、いろいろお世話 になったけれど、塩とハチミツだけはやりません。 この「有難い」「あの方は」 で、駄目だと思った。
父の小さんは、まさかのない人だった。 冗談が素通りする。 冗談なんて 言わないだろうと思っている時に、言う。 お客さんにアーモンド・チョコレ ートを頂いた。 「気をつけろ、お前、それは種がある」 だれも冗談だとは 思わなかった。
「猫久」は柳家の十八番(おはこ)だ、と噺に入った。 先代の「馬に止動 の間違いあり、狐の乾坤の誤りありとか申しますが」というマクラから始めた。 「シーシー、ドウドウ」という話で、「上をジョウと言わず「大工調べ」のジョ でございます、と言う」といったが、これは「序」ではないか。 猫と犬をく らべるところで、忠犬ハチ公は頭が悪い、主人が死んでも気がつかない、とい うのも、どうだろうか。 先代のを無理に崩そうとして、話がぐしゃぐしゃに なり、訳がわからなくなった。
「猫久」本体も、小三治のいう通り、まったく教わっていなかったとしか思 えない。 物語をなぞるばかりで、面白くもなんともない。 「有難い」どこ ろか、出番が逆になったために力量の差を満座の客に残酷に示すことになった。 小三治は、小さんにならなかったのが、プラスになっているようにさえ見えた。
大きな親の後を継ぐのは難しい。 くらべるのもおこがましいが、口八丁手 八丁の父が一代で築いた事業を、畳んだ経験を持つ私には、帰り道に苦味の残 る小さんの高座だった。 六代目小さん、三振。
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