六代目小さんの「猫久」2008/06/05 06:44

 それで、トリは現・小さん。 今日のお客さんは幸せ、時間通り帰れる。 最 近のお客さんは、兄弟子の噺が聴きたいのか、マクラが聴きたいのか、わから ない。 その兄弟子のあとに、出るのだから、「有難い」。 「あの方は」マク ラの本を出している「立派な方」、いつからあんなになっちゃったんでしょう。  子供の頃からお世話になった。 遊び、スキー、オートバイ、いろいろお世話 になったけれど、塩とハチミツだけはやりません。 この「有難い」「あの方は」 で、駄目だと思った。

 父の小さんは、まさかのない人だった。 冗談が素通りする。 冗談なんて 言わないだろうと思っている時に、言う。 お客さんにアーモンド・チョコレ ートを頂いた。 「気をつけろ、お前、それは種がある」 だれも冗談だとは 思わなかった。

 「猫久」は柳家の十八番(おはこ)だ、と噺に入った。 先代の「馬に止動 の間違いあり、狐の乾坤の誤りありとか申しますが」というマクラから始めた。  「シーシー、ドウドウ」という話で、「上をジョウと言わず「大工調べ」のジョ でございます、と言う」といったが、これは「序」ではないか。 猫と犬をく らべるところで、忠犬ハチ公は頭が悪い、主人が死んでも気がつかない、とい うのも、どうだろうか。 先代のを無理に崩そうとして、話がぐしゃぐしゃに なり、訳がわからなくなった。

 「猫久」本体も、小三治のいう通り、まったく教わっていなかったとしか思 えない。 物語をなぞるばかりで、面白くもなんともない。 「有難い」どこ ろか、出番が逆になったために力量の差を満座の客に残酷に示すことになった。 小三治は、小さんにならなかったのが、プラスになっているようにさえ見えた。

 大きな親の後を継ぐのは難しい。 くらべるのもおこがましいが、口八丁手 八丁の父が一代で築いた事業を、畳んだ経験を持つ私には、帰り道に苦味の残 る小さんの高座だった。 六代目小さん、三振。