日本近代の基本線を一気に引いた福沢2008/06/08 06:46

 福澤研究センター開設25年記念講演会、つぎは松浦寿輝(ひさき)さんの 「福澤諭吉のアレゴリー的思考」だった。 松浦寿輝さんという方を、私は寡 聞にして知らなかった。 1954年東京生れ、東京大学大学院総合文化研究科教 授、フランス文学者、詩人、映画批評家、小説家。 1988年詩集『冬の本』で 高見順賞、1995年研究『エッフェル塔試論』で吉田秀和賞、2000年小説『花 腐し』で芥川賞を受けている。

 松浦寿輝さんは、フランス近現代の文学や文化を研究していて、19世紀後半 から世紀末までの時期に、広汎で大きな変化が起きたことに着目した。 例え ば1889年の万国博覧会の際に建設されたエッフェル塔は、景観に合わない奇 怪な建造物だと文化人などから猛反対の運動が起こり、近代的美意識の立場で 建設を支持する人々との間で論争になった。 日本ではどうだったかを調べる と、20年ぐらい遅れだろうという予想に反して、同じ頃(明治20年~30年) に地すべり的に近代化(西洋との同時進行性)が進み、そこで一番大きな存在 が福沢諭吉だった。 福沢は明治日本のペースメーカーの役割を果した。 天 才的な構想力と、抜群の文章能力、文章表現によって、福沢は日本の近代の基 本線を一気に引いてしまった。 1870年代に『学問のすゝめ』と『文明論之概 略』が書かれたのは、奇跡的な出来事で、僥倖だった。 福沢がいなければ近 代史は違う方向へ進んだだろう。

 それには福沢の文章の力が大きかった。 福沢はその知識と教養、幕末三度 の外国体験を駆使して、日本の現実に即して考え、漢文くずし体の平明達意の 名文を綴った。 それは知性と思考の産物だった。 書きたいことが透明に表 象され、ユーモア(余裕)があふれている。 あの文体にしか盛り込めないも のがあり、心地よい速度感に乗せられてしまう。 福沢にしか書けなかったあ の文章を、福沢はなぜ書けたのか、松浦寿輝さんの話はつづく。