福祉先進国ニュージーランド2008/07/01 07:21

 小松隆二さんの話を聴いて、初めて知ったのは、ニュージーランドがイギリ スや北欧の諸国よりも早い福祉の先進国だということだった。 女性参政権 (1893年)始め、一国全体の8時間労働制、最低賃金、児童手当、社会保障体 制(1938年)などを、世界最初に実現した国なのだそうだ。 日本のニュージ ーランド研究の初期は、1900年頃から「南の理想郷」という「憧れ」の認識が 基本となって始まった。 早稲田の安部磯雄(初期のキリスト教社会主義者、 野球の振興にも貢献)や慶應の矢野龍渓(文雄)などがいた。 最初の客観的・ 本格的研究は、1916年頃からで、その第一歩を標したのがきのう書いた土屋元 作とその著『濠州(南方大陸)及新西蘭(長白雲)』だった。

 慶應義塾との関係では、川瀬勇(1908~1999)が1929年中退して、日本人 として初めてニュージーランドに正規留学、牧草学、牧畜を学び、作曲家とし ても活躍し、生涯をニュージーランドとの交流に尽した。 小松隆二さんとの 関わりであろう、1993年、女性参政権100周年記念の講演会が慶應義塾で開 かれ、その翌年には日本ニュージーランド学会の創立と第一回大会が慶應義塾 で行われている。 小松さんが学長を務める東北公益文科大学には、日本最初 のニュージーランド研究所があり、その所長と中心メンバーは慶應の出身者だ という。

歌奴を継ぐ歌彦の「谷風情相撲」2008/07/02 07:18

 6月30日は、第480回TBS落語研究会。

「谷風情相撲」     三遊亭 歌彦

「万金丹」       柳家 三三

「茶の湯」       春風亭 昇太

         仲入

「音曲質屋」      林家 正雀

「三年目」       入船亭 扇遊

歌彦は、2006年の5月に「宮戸川」を演った時、「すっきりした、昔風の若 者の顔、おばさん顔と言ったらいいか、声も大きいし、有望」と書いていた。  9月真打に昇進して、歌奴を襲名する、という。 円歌になっている「山の、 あな、あな」の歌奴は先々代で、先代は亡くなっているのだそうだ。 ついに 逮捕者まで出た捕鯨の問題に関心がある、という。 食べたことがないので、 くじら料理屋へ行き、くじらのチャーハンを食べた。 塩くじらを細かく刻ん で、野菜なども入っている。 美味しかったが、中にグリーンピースが入って いた。 このマクラで受けていたが、ある種のセンスを感じさせる。

「谷風情(なさけ)相撲」は、四代目横綱の谷風梶之助が、人柄がよく父親 の看病のため十両どん尻剣が峰まで落ちた佐野山と、生涯唯一の八百長相撲を 取る噺。 歌彦は、マイクに口をつけた場内アナウンスや、佐野山への勝利者 インタビューなども織り込んで、若手らしい一席に仕上げていた。 真打昇進 前らしい充実ぶりとみた。

三三の「万金丹」2008/07/03 07:20

 柳家三三(さんざ)の「万金丹」である。 三三はいい、期待の星であると いうのが日頃の私の評価だ。 三三は、ひょいひょいと出てきた。 少し青い 顔をしている。 十八でこの世界に入った、前座の修行中、食べ盛りに金がな いから、メシに連れて行ってくれる先輩は神様みたいに見えた。 ステーキ食 いに行こうか、と言われ、ついていくと580円のステーキ定食なんていうのが 東京にはある。 ご飯は好きなだけおかわりしていいというから、半分のステ ーキで五杯おかわり、いやな顔をされたが、あと半分で三杯食った。 恥ずか しながら、ひもじさが先、と旅の二人が道に迷って、明かりを頼りに、寺にた どり着くところから始めた。

 いろりのそばの、鍋の中に雑炊があったが、赤土をよく干したのに、藁を混 ぜたもので、あと左官を飲めば壁が出来るシロモノだった。 聞けば、和尚は 身の戒めだという。 麦飯ぐらいはある。 三日、雨に降られ、もう二三日逗 留させてもらおうとすると、出家する心づもりはないか、という。 融通で、 身の振り方が決まるまで、という坊主が二人出来る。 初五郎の初坊、梅三郎 の梅坊。

 そのうち和尚が京都の本山へ旅に出る。 乱暴狼藉はいかん、酒は慎め、弔 いが出来たら山一つ向うの願経寺に頼め、と言い置いて。 二人が、和尚の麻 の衣で池の鯉をすくい、酔っ払っていると、隣村の万屋金兵衛、今朝ほど死去 つかまつりました、という使いが来る。 和尚は留守だが、京の本山から梅坊 上人が来ているから、と出かけて行く。 南無阿弥陀仏いろはにほへと沖の暗 いのに、といいかげんなお経を読むと、戒名の写しを持って通夜から帰りたい というのが出てくる。 そこで例の、まっ四角の、新型戒名の登場となる。  「官許伊勢浅間」は、棺に経、浅ましくなった。 「霊峰」、礼はいつもより 多いほうがいい。 「万金」は万屋金兵衛、「丹」は、のどに痰がからまって死 んだ。 屋根の草むしりをしておっこって死んだ、といわれ、おっこったんの たんだ。 「但し、白湯にて用ゆべし」、仏様にお茶湯をあげるに及ばない。

 青い顔して出て来た三三、体調でも悪かったのか、ちょっと噺に切れと活気 がなかった。 期待しているのだ。 精進と節制を望みたい。

昇太の「茶の湯」2008/07/04 06:55

 「てなわけで」と、昇太は出て来た。 眼鏡を変えたようで、眼鏡が目立た ない。 まだ、(食品)偽装やってる人がいる。 上に氷を入れるツー・ドアの 冷蔵庫をかすかに知っている世代で、(母親は食品の)臭いを嗅いで使っていた。  賞味期限なんて止めたらどうだろう。 人間本来持っている力を頼りにして…。  老舗というのは、長いこと悪いことをやってきた可能性のある店、ということ になる。 その点、落語家は偽装しづらい職業で、誰が考えたかわからないけ れど、古いものを温め直してまた出すという、船場吉兆と同じことをやってい る。 定年がないから、いつまでも出来る、死の前日まで出来る。 60歳や65歳で定年になり、仕事一途にやってきて、趣味がなくて困る人が多い。 昇 太自身は、城を見に行く趣味があるという。 天守閣のあるような城でなく、 中世城郭が好き。 天守閣のある城は、最後の一ページに過ぎない。 何もな い、土塁や窪地だけのを、見に行く。 一緒に行く友達はいない。 いいのは 3万から4万あるから、全国どこに行ってもある。 ゴルフのように、教えた がる人がいないのもいい。 昇太も48歳になったそうだ。 ここで、趣味の なかったご隠居が、蔵前から根岸の里にひっこんで、小僧の貞吉を相手に、「茶 の湯」を始める話になる。

 騒がしい昇太式の「茶の湯」である。 炭をいっぱい入れたから、湯はグラ グラに煮えたぎり、釜をつつまんばかりの炎を見れば、野性の血が騒ぐ。 風 流だなあ。 かき回すものは、何というか、竹クラゲ、にごりえ。 下痢をし て、そのへんを走り回っていた貞吉が、お公家さんみたいな歩き方になる。 し ゃなり、しゃなり。 楽しく笑ったあとで、ふと、48歳の昇太、いつまでも、 この調子でいいのだろうか、そうもいくまいなと思ったら、やがて哀しいもの があるのだった。

正雀の「音曲質屋」2008/07/05 07:06

 正雀、落語研究会はひさしぶりに出て来た。 2002年3月の「あたま山」以 来だろうか。 ずいぶん白髪が多くなって、がっしりした顔になった。 例に よって、きちんとし、袴を穿いている。 それでいて、街でティッシュをもら うようにしている、困った時のカミだのみ、などと言う。

 「音曲質屋」、珍しい噺というより、出来る人が少ないのだろう。 いろいろ な音曲の素養が必要になる。 横丁の伊勢屋という質屋の旦那、ホトケの旦那 といわれ、音曲を聞くのが道楽で、月に一度「音曲質屋」というのをやる。 大 勢、並んでいる。 客が音曲などの芸をやると、五段階に評価して、金を貸す。  預けている間は、脇でやらないように、と。

 まず、小噺をやるというのが来た。 子供の出来なかった夫婦が夢を見た。  神様が「赤ちゃんが口をきくと、不思議なことが起る」と言った。 おばあち ゃんに小判が降った。 おっかさんに小判が降った。 おとっつぁんに降らな いで、前の家のおじさんに小判が降った。 [一]、貸してあげなさい。 次の 端唄「春はうれしや」も、[一]。 都々逸、「明日の天気をお尻に訊けば、あた しゃ空見たことがない」、[一]。

 つぎは歌って踊る、自称「宝塚の留」、「駕籠で来るのはお軽じゃないか」の ドンドン節、[二]。 次に、軽い芸で、義太夫のさわりをやるという。 こな いだも、そういって六段語った奴がいた。 デーン、デェーン、「玉手はすっく と立ち上がり、光秀殿…」、[三]。

 最後は、声色で役者と噺家の掛け合い、歌右衛門と彦六(これが見事だった)。  貸せないといわれ、貸してくれ、冗談じゃあないよ、さんざん芝居や寄席に 通って芸を盗んだんだから。 貸せません、うちは盗品は扱いません、という 落ち。

 こちらに音曲の素養がないから、ただ感心するばかりだが、正雀の存在は貴 重だと思った。